2013年03月29日

オニカジカ Enophrys diceraus

Enophrys  diceraus


カジカの仲間は総じて頭が少し大きすぎる。

顔はカサゴによく似ていて、彼らが「カサゴ目」に属していることに納得がゆく。けれども、頭の比率は頭でっかちのカサゴよりもさらに大きくて、その分身体はぐっと細身に見える。岩の上や海藻の間で身体を支えるための胸びれも、百人一首の絵で武官が頭の両側につけている扇形の飾り(おいかけ、というらしい)みたいに円く大きいから、デフォルメされたような極端なバランスをしている。

けれども、彼らの姿は見ていてしっくりと心地が好い。こういうバランスの魚は、水槽の中でただじっと息をしているだけでも眺めていて飽きないもの。心地好いとまで言わないにしても、カジカの類の姿を不安定だとか座りが悪いというように見る人は少ないのではないか。これはこれで、とても調和のとれた姿なのだ。

人間のするデザインには「良し悪し」があって、「良くないデザイン」には一見して「こうあるべきじゃない」とわかる違和感や不快がある。でも魚の姿にはいいも悪いもない。マンボウのような珍奇を極めた魚ですら、その形には「これぞ、あるべき姿なのだ」という説得力がある。
自然の造形にはそれほどまでの力が備わっているのか、あるいは自然の造形には間違いがないという思い込みがあるのか。いずれにせよ、限りなく多様な魚の全てにおいてデザインのミスが一度もないとすれば、自然という神様はなんと完璧なデザイナーであることか。


 
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2013年03月22日

ヨロイメバル Sebastes hubbsi

Sebastes hubbsi


ヨロイメバルに出会ったのは、もう18年ほども前の一度きりで、その場所は兵庫県の垂水(たるみ)港だった。
毎週末の父との釣りは、南港や泉大津といった大阪湾の釣り場が主だったから、釣りだけのためにわざわざ高速代と時間と労力を奮発して垂水にまで足を伸ばすというのは、最早立派な小旅行だった。

その甲斐あって、垂水港での一日はいまだに「一番楽しかった釣り」の一つとしてくっきりと憶えている。垂水港はあちこちが工事中だった。真新しいコンクリートの白、建設予定地の剥き出しの地面の赤土色、メジナやカワハギの子がひらひらと泳ぎ回るのが見える澄んだ海のエメラルドグリーン、水平線のコバルトブルー。きっとかなり美化された記憶の中の垂水港は、地中海の風景みたいに眩しい。

ヨロイメバルは、岸壁ギリギリに落とし込んでいた短竿の胴突き仕掛けにかかった。カサゴによく似ているけれど、鱗の一枚一枚が大きいせいでもっとガサガサ、ゴツゴツして見えてかっこいい。宝物のようにいつも眺めていた『新さかな大図鑑』でヨロイメバルと知った。鎧という名付けは本当に似つかわしい。
普通、釣り上げられた魚はショックで数日間は何も食べないものなのに、ヨロイメバルはその日の夜、水槽に身を落ち着けるやいなや餌のエビを一飲みにした。そのふてぶてしさも、とても気に入った。


 
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2013年03月15日

タイセイヨウサバ Scomber scombrus

Scomber scombrus


文化干し的な加工品になっているサバのおそらくほとんどが、輸入されたタイセイヨウサバだ。日本のサバにはマサバとゴマサバの2種がいるけど、いずれも背中の模様が迷路的に入り組んだり、枝分かれしているものが多い。それに比べてタイセイヨウサバの模様はシンプルで、あまり枝分かれなどしない「く」の字が幾分規則的に並んでいる。その違いを知ってから、スーパーでサバの模様を見るのが楽しくなった。

タイセイヨウサバの加工品は大抵頭を落とされた状態で売られているので、彼らの顔を見る機会はあまりないけど、写真を見るとちゃんと「外人さん」の顔をしているのが面白い。目と口の距離が少し長くて、特に大きな個体になるほど顎の骨格が立派になる。比べてみると、見慣れた日本のサバの大きな目と細い顎が、ディフォルメされた「アニメ顔」のようにも思える。

身に脂が多い。だからタイセイヨウサバの文化干しは、遠洋からはるばる冷凍で運ばれてきたせいもあってか味に繊細さはないけど、ガツーンとしたおいしさでごはんがすすむ。学生の一時期、これでごはんをたくさん食べるのが好きだった。だから真夜中の課題疲れの息抜きに近所の24時間営業の西友に行くと、文化干しが幾つ売れ残っているかを、買う気がなくとも日課や儀式のようにいつもチェックしていた。ガランと誰もいない魚売り場の白い蛍光灯に、青い文化干しはよく似合っていた。



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2013年03月08日

タナゴ Acheilognathus melanogaster

Acheilognathus melanogaster
(上)タナゴ Acheilognathus melanogaster
(中)シロヒレタビラ Acheilognathus tabira tabira
(下)セボシタビラ Acheilognathus tabira nakamurae


タナゴの婚姻色は凄い。誰そ彼どきの空のようだ。日の入りの後、桃色の夕焼けの名残をぼうっと漂わせた地平線から反対側の濃藍色の空の端まで、あごで弧を描いてぐるっと色を追う、その間に目が捉える光のすべてがここにありそうに思える。

「凄艶」というような字面さえもが似つかわしい。雄が雌を求めるという婚姻色の意味をわざわざ考えなくても、誰そ彼どきを思わせるその色は、一日の終わりのどことない寂しさと、夜の始まりの昂りとがないまぜになったような猥雑な熱っぽさを連想させる。映画『さくらん』では金魚が象徴的に描かれていたけど、色だけならタナゴの方がずっと艶かしい。

そんなタナゴの写真を見るたびに、妻は「七宝焼みたいやなあ」と言う。確かにその通りだ。手のひらに載せられて、夕暮れの色をまとった肉付きのいい胴をぷくっと光る滑らかな粘膜で包んでいる姿は、子どものころに百貨店の催事場で母と一緒に作った七宝焼のブローチのことを感傷的に思い起こさせた。


 
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2013年03月01日

アサヒアナハゼ Pseudoblennius cottoides

Pseudoblennius cottoides
(上)アサヒアナハゼ Pseudoblennius cottoides
(中)アナハゼ Pseudoblennius percoides
(下)オビアナハゼ Pseudoblennius zonostigma


「雑魚」の定義の何たるかは知らないが、決して悪い響きじゃない。海の幸の豊かな土地では、市場やスーパーに名前のない魚たちが売られている。それがいわゆる「雑魚」だ。ただ「小魚」と印字されたラベルが貼ってあって、4〜5尾ぱらぱらっと入って150円ぐらい。倉敷のスーパーでは、テンジクダイがそうやって売られていた。
サイズが小さいし数も獲れないから、わざわざ別個の名前をつけて流通させるほどでもないけど、唐揚げやおみおつけのたねにするとそれなりにおいしい。それが「雑魚」だと思うと、魚のおいしい土地の人しか口にできないという希少価値すらあるような気がしてくる。

そこへゆくと、アナハゼの類は雑魚ですらないらしい。この魚の不人気というか、関心を持たれないという意味での「空気」感はなかなかのものだ。
大阪は泉南の、泉佐野の漁港での釣りでアサヒアナハゼがよく釣れた。カレイやハゼ狙いの投げ竿を巻き上げるといつの間にか釣れている。でも釣り人一般の文化としてこの魚を食べはしないし、カサゴに似た大きな口で餌をひと呑みにするせいか、大抵は釣り針をノド奥深くまで呑み込んで息も絶え絶えだから、飼うことも思いつかなかった。そしてフグやハオコゼみたいな嫌われ者でもないから、舌打ちするようなこともなくただ淡々と海に還していた。
カサゴに近い仲間だから、血筋的には食材としてのポテンシャルは十分なはず。でも食用にしては小さいし見た目があんまり良くない(特に、アナハゼには肉や骨が宇宙人みたいなエメラルドグリーンしてる奴がいて、いただけない)から進んで食べようとは思わない。オコゼほど醜悪になれば、背中の毒針も相俟って味との極端な対比が価値を生むけど、アナハゼたちの見た目の悪さは中途半端。実に存在感が薄い。

ネット上でもアナハゼに関しては、「これは何という魚ですか?」という話題が目につく。やっぱり、名前もあんまり知られていない。ネットがなかった子ども時分、図鑑で「アサヒアナハゼ」の名前にたどり着いても本当に正しいのかずっと自信を持てなかったのを思い出した。
でも今こうして改めてまじまじと眺めてみると、あれほど無関心でいたはずのこの魚が意外に懐かしく、なかなか綺麗とも思えてくる。今後海水魚の水槽を作ったらぜひ飼ってみたいけど、そうなったらきっとなかなか釣れない。世の中、そういうもんなのだ。


 
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