2013年09月27日

バルーンモーリー Balloon Molly

balloon molly

無色透明の無垢な体に蛍光色素を注入されたカラーグラスを、人間の忌むべき所業として描いた。自然と融和することのない人工的な手段で生き物を改造するのは、極めて前時代的で悪趣味な感覚の表れなのではないかと。

しかしそうやってカラーグラスを否定する時、「では品種改良はいいのか?」という問いがいつも心にひっかかる。カラーグラスを生み出す悪魔の改造術の根底にあるのが、生き物を自分たちの思い通りの形にしたいという人間の欲求なのだとすれば、品種改良も根は同じものに違いないからだ。

カラーグラスと同じ頃に出回り始めた魚に「バルーンモーリー」というのがいた。もとは「セルフィンモーリー」というスラリとした体型の大型メダカなのだけれど、その脊椎が湾曲する畸形を品種として固定したものだ。コロンと丸い体でたどたどしく泳ぐ姿に、作り手の身勝手に歪んだ感覚そのものを見るようで当初は嫌悪感を掻き立てられた。
けれどもその後、カラーグラスが次第に姿を消していったのとは対照的に、バルーンモーリーは観賞魚界にすっかり市民権を得た。今ではセルフィンモーリーよりも普通にショップに見られるし、嫌悪感もいつの間にか感じなくなっている。

カラーグラスのような改造が忌避される反面、品種改良はきっとそうして人々に受け入れられてきた。金魚などはその全てが品種改良によるものだし(「流金」はバルーンモーリーと同じく、脊椎の畸形を固定したものだ)、グッピーも錦鯉もベタも、そして魚に限らずイヌやネコだって、改良された品種の方が原種よりよほど身近なものになっている。
品種改良も所詮は改造と同根で、人間の暴力が個体ではなく種そのものに向けられたために見えにくくなっているだけなのかもしれない。けれども、金魚やグッピーの品種改良に心血を注ぐ愛好家や、様々な姿をしたイヌが人々に愛されているのを見ると、これも人間と生き物たちとの長い長い関わりの一つの形として肯定的に捉えたい、と思う。


 
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2013年09月20日

トロフェウス・ドゥボイシー Tropheus duboisi

Tropheus duboisi

観賞用熱帯魚の三大産地というと南米(アマゾン)、東南アジア、アフリカだけれど、アフリカの魚に手を出す人は少ないのではないかと思う。理由は彼らが好む水質にあって、南米と東南アジアは共通して概ね中性〜弱酸性の軟水。他方、観賞魚として出回る多くのアフリカの魚たちが好むのは弱アルカリ性の硬水。この違いは、魚を飼うにあたっては淡水と海水の差にも近いような大きな隔たりになる。この両者を同じ水槽で飼って、双方が健康でいられるということはまずない。そこで、南米・東南アジア組かアフリカかという二択になれば、日本の水道水にも近い水質で、かつ東南アジアで大量に養殖されて流通量も多い前者を選ぶ人が多いのは当然のことだ。

そういう理由でアフリカの魚たちを敬遠しつつ、その一方で飼えないがゆえに何か遠い異国のものに対する憧れのような気持ちを彼らに対して持っていた。メタリックブルーや鮮やかな黄色といった派手な色彩、タイのようなどっしりとした体型は、他の地域の淡水魚にはあまり見られない。彼らを産するアフリカの古代湖は、例えばタンガニイカ湖ならば1,200万年〜2,000万年前もの昔に成立しているらしい。つまりそれだけの時間をかけて、他の地域とは切り離された進化の道筋を辿ってきたということだ。その時間の重みが、彼らの異国情緒あふれる姿に刻み込まれている。

トロフェウス・ドゥボイシーは、市ヶ谷の熱帯魚店で5センチにも満たない幼魚を見て美しさに惹かれた。黒い体に細かな白い水玉模様が散りばめられている。この色彩は成長とともに変化し、我がバイブルたる『熱帯魚図鑑』(松坂実編著、マリン企画、1986年)の表現によれば「かわいさから美しく力強さを感じさせる存在へと変貌する」。成魚の色彩は確かに力強い。この紺と黒と黄の組み合わせをなぜかとてもアフリカらしく感じ、国旗だったかなと思い調べてみた。そうするとこの色の組み合わせはまさに彼らが棲息するタンガニイカ湖を擁するタンザニアの国旗に使用されていた。紺はインド洋、黒は国民、黄は豊かな鉱物資源を表しているらしい。たまたまかもしれないけれど、やはりその土地ごとの色の文化は自然の色に根ざしているのだと嬉しくなった。


 
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2013年09月13日

カラーグラス Pseudambassis ranga

Pseudambassis ranga

近ごろすっかりその姿を見なくなったけれど、15年ほど前にはどこの熱帯魚店にも「カラーグラス」あるいは「カラーラージ」と呼ばれる魚がいた。骨が見事に透けた無色透明の身に、一見して自然のものでないと分かる蛍光色のピンクやパープルやオレンジを纏った、異様な姿の魚たちだ。

初めて目にしたのは、阿倍野の近鉄百貨店の屋上ペットコーナーだった。母と一緒に「何あれ、面白いなあ」と言ってパープルのを1匹買った。彼らが皮下に蛍光色素を注射するという常軌を逸した方法で着色されていると知ったのはその後のことで、そうと知ってからは「あの色、早く抜けてなくなればいいのに」と思っていた。かわいそうだ、動物虐待だと義憤に駆られるよりも先に、せっかくの水槽に何か妙なものを持ち込んでしまった違和感があった。生花の美しい花束の中に、粗悪な造花を紛れ込ませてしまったような。彼の体はその忌まわしい異物を少しずつ排出していったけれど、「グラスフィッシュ」という本来の名の通りガラスのように透き通った生まれつきの無垢な姿に戻ることはついになかった。

品種改良によるのではなく、そのような「改造手術」によって着色された熱帯魚は当時ちょっとした流行だった。コリドラスやブラックテトラにも、赤や青の色素で彩色されたものがいた。その昔、縁日の屋台で見られたカラーひよこと同じだ。ひよこたちも、ただ「面白い」「面白いから、売れる」という理由のために染料液に浸され、熱風の中で異常な色をその羽毛に刻み付けられた。

これは何とも前時代的で悪趣味な「美」や「面白さ」の感覚だと思う。

15年前のこの感覚を悪趣味と評価できるほどに、世の中は変わった。動物愛護の考え方は当たり前になって、カラーひよこなんて今の日本ではちょっと考えられない。観賞魚の世界でもカラーグラスをはじめとする人工着色魚はすっかり姿を消して、大自然の美や生態系を水槽の中に再現しようという「ネイチャーアクアリウム」が魚を飼うコンセプトの一つの最高峰として認知されている。

けれどもその一方でやはり、人為的な「美」や「面白さ」で生き物を飾って楽しもうという「カラーグラスのメンタリティ」も姿を変えて生き残っている、ように思う。クラゲにレーザー光線を透過させて見せたり、女性が美を競い合う江戸の大奥を金魚で表現した、という極彩色の飾り水槽が「アート」の御名の下に賛美されているのを見ると、腹の底からうそ寒い気味悪さがこみ上げてくる。
人間は生き物でどこまで遊んでいいのか。それはいつまで経っても決して安心できる答えには辿り着けない問題なのかもしれないけれど、人の傲慢とそこから生じる違和感には常に敏感でありたいと思う。


 
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2013年09月06日

グッピー Poecilia reticulata

Poecilia reticulata

「グッピー」という名前を、自分とは縁の無い、お金持ちのお家の趣味として耳にした記憶がある。自分自身が熱帯魚を飼うよりも前のことだから、おそらく小学校の低学年、つまり20年以上も前のことだ。老けた顔つきなのだけれど、髪型や短パンの丈感にどこかボンボンぽさのあるN君が、「うちのグッピーがな、…」という話をするのを運動場で聞いた、ような気がする。当時とて熱帯魚は決してお金持ちしか手が届かない、というようなものではなかったと思うのだけれど、幼い自分には例えば「軽井沢」のような、それだけでリッチな意味を持った言葉に聞こえたのだ。あるいは『サザエさん』でご近所さんが熱帯魚を飼っていて、サザエが「あらいいわねえ〜」などと言い、ワカメやタラちゃんが欲しがってフネにダメですよ、とたしなめられる。そんなストーリーが似つかわしいぐらいには、庶民の憧れ的な力を持った言葉だったように思うのだ。

後に熱帯魚が身近なものになってみると、グッピーはさほどリッチなものではないということが分かった。東南アジアの池で養殖されたグッピーたちは、華麗なオスが300円、地味なメスが150円、ペアで400円というような価格設定だった。繁殖力の旺盛な彼らは、交尾のために常にオスがメスを追い回す。それによってメスが弱ってしまわないように、熱帯魚店の水槽ではオスはオスだけ、メスはメスだけというように分けられているのが普通だった。オスの水槽はカオスだ。様々な色柄の派手な尾びれがガチャガチャと入り乱れる。それは熱気が渦巻くようなとても魅力的な光景で、彼らが育った東南アジアの国々の、見たこともない市場を連想させた。

一方で、少し品揃えの充実した熱帯魚店に行くと、東南アジア生まれの彼ら(「外産グッピー」などと呼ばれていた)とは明らかに扱いの違うグッピーがいた。「国産グッピー」と呼ばれる彼らは、小ぶりの水槽に水草など浮かせてもらって、夫婦とその子どもたちで暮らすことが許されていた。値段は外産グッピーの10倍以上。確かに、繊細そうな体のラインとシルクみたいにたなびく背びれ尾びれはとても美しい。値段の違いにも納得がいったけれど、結局そんな高級グッピーには一度もお近づきになることなく、今に至っている。


 
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