2013年12月27日

ヨシノボリの仲間 members of the genus Rhinogobius

Rhinogobius_01
Rhinogobius_02

今年のお盆休み、妻の実家の岡山で過ごす最終日に、総社市の豪渓(ごうけい)という渓谷へ夕涼みに行った。「奇岩絶壁」と形容される景勝地で、岩に刻まれた刀傷のような線が印象深い。

車を停めて、大小の岩がごろごろした渓流に降りる。履物を脱いで水に入ると、ふわりと川底の石が足の裏に触れる。表面はぬるりとしているけれど、澱んだ水の分厚くて不快なぬめりとは違う。さらさら流れる透き通った水に洗われて、恐らく微細な命をびっしりと纏った石は、ぐっと足に力を入れると擦れ合って少し軋む。

そこここにせいぜい1cmほどの何かの稚魚がピンピン泳いでいる。手のひらでゆっくり追うと簡単に水ごとすくえるけれど、何の稚魚なのかは見当がつかない。足下では水面の揺らぎの向こうに、色鮮やかなヨシノボリがついと跳ねては停まりを繰り返している。その色を何とか間近に見たくて、追いかけたり待ち伏せたりするのだけれど、どうしても動きについていけなかった。

ヨシノボリは川遊びで最も普通に見かける類の魚だけれど、学術的な分類は発展途上で学名未記載の種もまだ多いらしい。全国の川や湖に生息している上に地域差や個体差も大きいとなると、素人考えながら分類作業の果てしなさに気が遠くなる思いだ。きっと色鉛筆の一本一本に名前を付けるような分かりやすい作業ではなくて、虹の中から色を見分け出して定義するような話なんだろう。けれどもその困難に真っ向から取り組む学者の「分かりたい」という気持ちは理解できるような気がする。身の回りのものの多くは先人が既に名付けてくれているから普段はあまり意識しないけど、そういった分類と名付けによってこそ、人間は世界を捉えて自らの立ち位置を定めてきたのに違いない。


 
posted by uonofu at 18:00| Comment(2) | 魚の譜

2013年12月20日

レインボーフィッシュの仲間 genus Melanotaenia

genus Melanotaenia

すみだ水族館入ってすぐのところに淡水の熱帯魚の大きな水槽がいくつかあって、その一つにこのMelanotaenia属のレインボーフィッシュの仲間が泳いでいる。全長10cm程度、肩側と腹側にそれぞれ円く張り出した体躯は一般的な家庭用水槽には少し大きいので、熱帯魚店でもなかなか主役級の地位は与えられない。けれども、その堂々とした姿は大水景によく映える。水族館の大きさには及ぶべくもないけれど、新宿の地下街や恵比寿の駅ビルに設置された大きめの水槽に彼らが選ばれているのには、なるほどと納得がゆく。

「平たい体をした淡水魚」という点では、日本産淡水魚として馴染み深いタナゴに似ているようにも思える。けれども、実際に泳ぐ姿を見てみるとまるで違う。雰囲気が「異国人」なのだ。背中の盛り上がりとか吻の尖り方とか、ひれの付け根の幅広さとか、そういった細部の違いは勿論挙げられるだろうけど、それらに目を凝らすまでもなくぱっと見で「違う」と感じる。ちょうど、車好きだった90年代の前半にマツダ車に抱いていた印象に似ている。その頃のマツダは、たとえ車種が分からなくても全体像をみただけで何となくマツダだと想像がつくほどの独特の雰囲気を持っていた。色でいえばボルドーやビリジアンのような、もともと日本にはなかったタイプの渋さ。それはフォードと提携したことによる、まさに異国っぽさだった。父のトヨタ車のどっしりとした安定感が大好きだったけど、マツダのその雰囲気にも好き嫌いを超えていつも目を奪われていた。

レインボーフィッシュが「異国人」なのにも理由がある。彼らは特異な生物相を持つオセアニアやマダガスカルの出身で、私たちが見慣れているコイやナマズや○○テトラのような魚とは2億年近く昔の大陸移動で袂を分かち、それ以降交わっていない。オーストラリアの有袋類やマダガスカルのキツネザル(まさにマダガスカルにしかいない)が他の地域の動物たちとは一風異なっているように、レインボーフィッシュの仲間も私たちにとっては2億年前からの筋金入りの異国人なのだ。

理科の教科書には、その2億年前よりももっと昔からの大陸移動の歴史が、数コマの世界地図で分かりやすく描かれている。その数コマは「今」の世界地図で終わっているから、知らず知らずのうちに今の世界が完成図であるかのように錯覚してしまう。けれども当然ながら今の世界が過去の1コマになる未来は確実にやってくる。大陸が再びどこかでつながり、切り離されて、レインボーフィッシュたちも他の魚を駆逐し、あるいは駆逐され、またあるいは交わりながら絶え間なく姿を変えてゆく。


 
posted by uonofu at 18:00| Comment(0) | 魚の譜

2013年12月13日

リーフィーシードラゴン Phycodurus eques

Phycodurus eques

世界屈指の奇魚であるリーフィーシードラゴンの実物を初めて目にしたのは、小学6年生の修学旅行で訪れた鳥羽水族館でのことだった。20年近くも前のことだ。

館内見学にあたって渡された子ども向けのワークシートに、ぬりえのように黒の線だけで描かれたリーフィーシードラゴンのページがあった。絵の上に「リーフィーシードラゴンには 背びれがあるよ! どんな背びれか 描きこんでみよう!」と書いてある。低学年の頃から池の魚や熱帯魚を飼ってきたし、暇さえあれば図鑑を眺めていたのだから、こんな「子ども向け」のワークシートなんかに少しでも戸惑うわけにはいかない。そう思って水槽の中のシードラゴンをじっと見つめた。意外に横長の、波打つ背びれがはっきりと見えたのが心地好かった。ただ「はっきり見えた」のが心地好かったのではなくて、「“魚に詳しくて背びれの位置もだいたい想像がついている自分には”はっきりと見えた」という自負が快感だった。打撃の神様川上哲治の「ボールが止まって見えた」の文頭に“打撃の神髄を究めた自分には”が隠されているのと同じことだ(違うのは川上は本当に神様で、自分はただの子どもだったということだ)。背びれが見つからない隣の子のワークシートをちらちらと覗きながら、自信たっぷりに鉛筆に力を込め、太々とした線で背びれを描きこんだ。

担任の砂本先生は私のそういう性格をよく見抜いて、事毎に戒めてくれた。ある時は直接的に、またある時は遠まわしに、根気よく。当時はその戒めすらも「いちいち言われんでも分かってる分かってる、思い上がったらあかんってことやろ」としたり顔に受け止めたつもりになっていたけれど、20年後の今にしてようやく砂本先生の根気のありがたみが分かる。戒めつつも、思い上がりばかり強いくせに簡単に委縮する私への教育者としての優しさがいつも根底にあった。

リーフィーシードラゴンとの初めての出会いはそんな具合で、背びれと自負心に夢中になった結果、その不思議で美しい姿を素直に心に刻むことができなかった。その後も何度か水族館でこの魚を見たけれど、いつも背びれのことばかりがなんだか気にかかる。


 
posted by uonofu at 18:00| Comment(0) | 魚の譜

2013年12月06日

ウィーディーシードラゴン Phyllopteryx taeniolatus

Phyllopteryx taeniolatus

タツノオトシゴの仲間のおよそ魚らしくない外見は、馬や龍に喩えられる。日本では龍のイメージが主流で、「ウミウマ」と名付けられた種もいくつかはあるけれど、それらをもひっくるめた総称として「龍の落とし子」とネーミングされている。さらに冗談みたいだけれど近縁種には「タツノイトコ」「タツノハトコ」というのまでいて、あくまで「龍推し」であることがわかる。そろそろ年賀状の季節になって、漠然と「午年→ウミウマ」をイメージしていたのだけれど、考えてみたらモチーフとしてのタツノオトシゴの仲間は既に辰年に取られてしまっているのだった。

英語圏では馬のイメージが強いらしく、この一群はまとめて"Seahorse"と呼ばれている。が、それでもけれん味たっぷりなこれら近縁種のことは、やっぱり龍に見えるらしい−"Seadragon"と名付けられた魚たちだ。オーストラリアの海に3種が棲息している。そのうち水族館でもよく見かけるのはリーフィーシードラゴンと、このウィーディーシードラゴンの2種。

リーフィーは"leafy"(葉っぱが茂った)の名の通り、全身を海藻そっくりのひらひらとした皮弁で飾りつけることで周囲の環境に溶け込んでいる。動きもゆっくりだから、海の中ではただ波に揺られている海藻の塊のように見えるに違いない。
他方このウィーディーも"weedy"(seaweed=海藻)の語を冠してはいるものの、シルエットはリーフィーより随分さっぱりしている。皮弁が少ない彼らの場合、自らの葉っぱで身を隠すリーフィーとは異なり、体全体を一片の海藻のように見せることでカモフラージュしなければならない。その事情が、彼らの少し度を過ぎて美しいように思える色彩に現れているのではないか。彼らの色づかいの夢のような見事さにはただただ溜め息が出るばかりだ。

リーフィーとウィーディーのように、何かを「対」で考えることは、対象についての情報量と理解をうんと増大させてくれる。対になっているおかげで我々は「あ、これはシードラゴンのフサフサのほう」「こっちは色がすごいほう」と体系立てて認識できるので、単体で捉えるよりもそれぞれの特徴の理解を深めることができる。唐突だけれどこれを大相撲で喩えてみる。白鵬が一人横綱として君臨していたときよりも日馬富士が台頭した後の方が、白鵬の「圧倒的な強さ、品格、美しさを誇る正統派の大横綱」としてのイメージが、それに対する日馬富士の「幕内最軽量、ポロポロ取りこぼすがツボにはまった強さは白鵬をも上回るムラっ気横綱」のイメージと高めあうことでより強く匂い立っている。魚を種で比較しつつ見ていくことの面白さもそこにある。


 
posted by uonofu at 18:00| Comment(2) | 魚の譜