2014年01月31日

アピストグラマ genus Apistogramma

genus Apistogramma

アピストグラマの仲間は熱帯魚の世界では揺るぎなく市民権を得た一群だけれど、少し玄人好みなところもあって、誰もが気軽に手出しする魚ではない。運動会の種目で言えば「大玉転がし」ぐらいのものと思えばよい。運動会の種目は?という問いの答えのトップ10以内には入りそうだけれど、「大玉」の調達や保管といったハードルがあるために実施していない小学校も多いはず。それでも「パン食い競争」みたいに、「認知はありふれているが実際に目にした人は少ない、幻の存在」というほどでもない。

この仲間は種が非常に多く、しかも同じ種とされている中でも地域差や個体差が大きいので分類を理解しにくい。これは野生のベタやコリドラスにも言えることで、そこが玄人好みなポイントなのだと思う。どこかに理解しきれなさが残るモヤモヤを「楽しい」と感じられるなら、彼らは一生付き合うに足るキャパシティを持っている。
そしてそのことと表裏一体だけれど、彼らがベタやコリドラスのように幅広く一般化しなかったのは、これぞアピストグラマ!という分かりやすい改良品種を持たなかったからだ。同じシクリッドの仲間であるエンゼルフィッシュやディスカスと異なり、彼らは人間から品種改良の熱意を注がれなかった。そのことも、彼らが既に自然からあまりにも豊富なバリエーションを与えられていることと無関係ではないはず。

そんな魚だから、頭の中には渋くて落ち着いたイメージが刻まれていた。けれどもこうして改めて彼らの姿を描いてみると、いかにも雄大な南米の自然の色を身にまとっているように思える。鮮やかで華やかで力強い。一尾一尾が王様のように誇りのある顔つきをしている。彼らに心血を注ぎ込むマニアの方々の気持ちも分かるような気がしてくる。


 
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2014年01月24日

ウマヅラハギ Thamnaconus modestus

genus Thamnaconus
ウマヅラハギ Thamnaconus modestus(上) と同属2種

ウマヅラハギについて調べていて、三重での地方名が「ウマヌスト」であると知る。まず間違いなく「馬盗人」なのだと思うのだが、由来が分からない。ネット上からはついにその答えを得ることができなかった。

仕方無いのでその謂れを想像してみる。ものの名前、特に地方名のように人々の日々の生活の中から生まれてきたものには、必ず意味があるはず。

1.まず「盗人」と言えば可能性はふたつ、穀類の害虫コクヌストのように本当に悪者として嫌われているか、あるいは旨すぎて酒が盗まれたが如く進んでしまう酒盗のように、(プラス)すぎて(マイナス)してしまう、という褒め言葉か。でも後者では辻褄が合わないし、前者は理由が分からない。

2.確か古典に「馬盗人」という話があったと思って調べてみたけど、これも関係なさそう。武家の父子が、多くを語らぬ日本的な信頼関係によって馬盗人を退治するというものだった。

3.行き詰まったので、では昔の人々にとって馬とは何だったのかを考えてみると、それは取りも直さず貴重な労働力であり家の財産だった。漁師にとってもそうであったはず。例えば山を越えて街へ魚を売りに出る男が山姥に襲われる昔ばなしは各地に伝わっているけど、その男が魚を積んでいるのは馬か牛だ。1に照らして考えてみると、その貴重な財産を損ねるものとして嫌われる理由がウマヅラハギにはあったはず。

4.確かに彼らは、最近になってカワハギの代用品として重用されるようになるまでは、漁業的な価値に乏しいものとして軽視されてきたらしい。それどころか、頭部の棘が引っかかって網を傷めるので嫌われてもいたのだと。岡山での地方名「ツノギ」からも、この魚を語るにおいて頭の棘(ツノ)が重要な要素であったことが窺える。

…これだ!

きっと漁師はこの魚が大量に網にかかると、頭の棘で網をダメにされてしまったのではないか。そうなると当然漁はできないから儲けが無くなるし、新たに網を作るのには時間やお金がかかる。その結果、財産である馬を手放さねばならなくなる…

民話的に美しく調和のとれたストーリーだと思うのだが、真相は果たして。


 
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2014年01月17日

ハコフグの仲間 genus Ostracion

genus Ostracion

海水魚を扱っている熱帯魚店に行くと、直径2〜3cmのハコフグの幼魚に出会うことがある。魚の大きさを示すのに「直径」というのはおかしい気がするのだけれど、実際に見ればきっと納得がゆく。折り紙の風船のような、まるく膨らんだ直方体からおちょぼ口が突き出している。そこにキョロキョロとよく動く目がついているので、わざわざデフォルメするまでもなく何かのキャラクターのようで、愛らしい。

それに加えて、不思議な動き。本体は硬い殻に覆われているので、可動部は尾びれの付け根くらい。あとは近縁のフグやカワハギと同じように、滑らかなひれを全力で細かく震わせて泳いでいる。子どものひれは透明だから、一見ただ丸っこい本体がゆらゆらと漂っているように見える。

けれども、彼らはけっして波間のピンポン玉のように頼りなく揺られているのではなく、実に如意に機械のような精密さをもって泳いでいる。前後上下左右、その場にホバリングと、見ていて心地好くなってくるほどに自由自在。それもそのはず、あの箱型の体は水の抵抗を受け流すのに効率的な設計になっているらしい。2005年には、メルセデス・ベンツがハコフグの体型に着想を得たというコンセプトカーを発表している。

何億年という進化に磨かれたわれわれ生き物の姿には、この世界で暮らす上での合理性とその美しさが詰まっている。そのことがとても面白い。


 
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2014年01月10日

溜川への水路の魚たち Fish in a waterway to the Tamekawa River

Fish in a waterway
(左上)タイリクバラタナゴ Rhodeus ocellatus ocellatus
(右上)ヤリタナゴ Tanakia lanceolata
(左下)ミナミヌマエビ Neocaridina denticulata denticulata
(右下)ギンブナ Carassius auratus langsdorfii


倉敷市の妻の実家近くには三面コンクリート護岸の水路が通っている。海抜の低い土地だから、水害を防ぐために一帯に張り巡らせてあるらしい。流れる先は「溜川」という川だ。

溜川は生き物の豊かな川だと言うけれど、そこへ注ぐ水路は決して綺麗ではない。特に妻の実家のそばでは大型スーパーの目の前なこともあってか、ところどころにゴミや油がひっかかって浮かんでいる。一応水草がなびいているけれど、何やら真っ黒で生きているのか枯れているのかわからない。一見、生き物が棲むのに適しているようには思えない、よくある街中の水路だ。

けれども、夏にはボラの子どもが青灰色の背中を見せて泳ぎ回っているのを見たし、この正月の帰省でも覗き込むと小魚の群れや20センチほどの頭でっかちなドンコが泳いでいくのが見えた。汚れているように見えて、実は環境はいいらしい。小魚たちの正体を知りたくて、ペットボトルで仕掛けを作って沈めるも見事に空振り。それではと岳父に釣り用の大きなタモ網を借りて、同じく帰省中の妹夫婦も巻き込んでパーフェクトな童心で水路に臨む。冷たく透き通った空の下、大型スーパーの目の前で大のおとなが網を手に頭から突っ込みそうな勢いで水面を覗き込んでいるのは、正月2日の風景としてはあまり似つかわしくない。

フナらしき大きめの魚が5、6尾、水草の茂みから飛び出してすぐ下を通り過ぎていく。小魚がキラリと腹をきらめかせている辺りを狙って網でのろのろと不器用に弧を描くと、何度目かで網の中に魚が跳ねた。掬えたことに驚いて手繰り寄せると5センチほどのタナゴだ。艶やかな粘膜に包まれた群青の鱗が整然と並んで、溜め息が出るほどに美しい。器のタナゴに見入っている間に、今度は何かにつけて勘のいい義弟が大きめのフナ、別種のタナゴ、小さなヌマエビを掬い上げる。どれもこれも、街中を流れる水路から生まれたとは思えないような、渋くも鮮やかな色彩だ。

岳父が言うに、水路はコンクリート護岸となった後、一時はドブのように汚くなっていたらしい。それがここ最近は魚が戻ってきているとのこと。市のホームページには、NPOの方々の清掃活動や水質改善の取り組みが紹介されていた。それらが見事に実っていることは生き物たちの姿が示している。
身近に豊かな生き物がいるということのこの嬉しさはいったい何なのか。深呼吸をしたように、体の隅々にまで心地好さが行きわたる気がする。普段の生活で忘れている感覚を、帰省の間に取り戻した。


 
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2014年01月03日

マトウダイ Zeus faber

Zeus faber

マトウダイの名の由来には二つの説がある。ひとつは大きな口を開くと吻が長く伸びて馬面になるから「馬頭鯛」。もうひとつは目玉模様の入った円盤状の体が弓道の的のようだから「的鯛」というものだ。

動物の顔つきからの連想の方が面白みがあるように思うし、何より今年の十二支でもあることだから「馬頭鯛」説を推したいところなのだけれど、内心「的鯛」に比べてちょっと分が悪いかな、と思っている。馬面であることを表現するのに「馬頭」という言葉は少し回りくどい。マトウダイの名が昔々の漁師によるものだとして、自らの生活の根幹において来る日も来る日も魚と関わっている海の男たちの名付けは、もっと直截的であるはずだと思うのだ。例えば同じく面長な魚のウマヅラハギのように、身も蓋もなく。

的のような姿だから「的鯛」はその点、呆気ないまでにストレートだ。海から引き揚げた魚をパッと見て「マトじゃマトじゃ」と声をあげる漁師の姿は思い浮かべやすい。一方で馬面だからマトウだ、という言葉選びはどうも陸の人間のものに思える。洒落っ気を利かせようとするだけの距離感が、魚との間にある気がする。

そうやって想像を膨らませてゆくと、「的鯛」説には海に生きる人間の質実たるプロフェッショナリティが滲み出ていて実に味わい深い。あくまで、全ては想像に過ぎないけれど。


 
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