2014年03月28日

ハス Opsariichthys uncirostris uncirostris

Opsariichthys uncirostris uncirostris

大学4年生の頃、一度だけ「投網」に連れていってもらったことがある。今思えば貴重な体験なのだけれど、残念ながらほとんどのことは記憶に残っていない。魚好きの少年が大学生になって、行き先は隣県とは言え水槽の世話も親にまかせきりにして実家を離れ、新たな環境に身を置いて3年余り経った頃のことだ。魚に対するまっすぐな熱意はすっかり薄れて、大学生らしいとも言えるモヤモヤとした混沌に身も心も迷い込んでいる時期だった。

そんな中で今なお覚えているのは、その日は少し雲が多めだからと油断していると手ひどく日焼けしそうな初夏の空だったこと、投網は難しくて結局最後まで思うようには投げられなかったこと、そして「ハスが獲れたこと」だ。自分が投げた網であったかどうか、とにかく引き揚げた網の中に一際立派な銀色の魚体があった。大きく「への字」に裂けた口と太い顎のいかつさが、すらりとした体には多少アンバランスにも思える、雄のハスだった。熱が冷めていたとはいえ、図鑑でしか知らなかった工具のように噛み合わせの美しい口の構造に、これが!と感動した。

記憶の中のそのハスは顎から頬にかけてがうっすらと色づいた程度だったけれど、中にはオイカワを淡くしたような優美な婚姻色を呈する個体もあるらしい。振袖のように長く垂れた尻びれをはじめ、体型もよく似ている。だからその分、吻が尖って可愛らしいオイカワとの顔のギャップが際立って見える。ハスの風貌は明らかに魚食性の強い魚のそれだ。一度くわえた魚は逃がさないであろう、牙のような独特の形状をした太い顎は、節分の豆撒きで使う鬼の面を髣髴させる。オイカワを「ヤマベ」と呼ぶ地方ではハスを「オニヤマベ」と呼ぶそうだが、その名付けの感覚はすんなりと腑に落ちる。

投網で獲ったハスはその日の夜、他の魚たちと一緒に塩焼きになった。品のいい白身だけど、小骨が多くて少し食べにくいな、と思った。


 
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2014年03月21日

ラミーノーズテトラ Rummy-nose tetra

Rummy-nose tetra
(上)ラミーノーズテトラ Hemigrammus bleheri
(中)レッドノーズテトラ Hemigrammus rhodostomus
(下)"にせラミーノーズ" Petitella georgiae


ネオンテトラほどではないにせよ、ラミーノーズテトラも熱帯魚に興味ない人にまで広く知られた魚なんじゃないだろうか。地下街なんかに置かれた水槽で見かけることが多いように思うし、オープン以来好評をよく目にする、すみだ水族館入ってすぐの美しい大水槽でも見ることができる。

すらりとして、涼やかな透明感のあるオリーブグリーンの身体に、チョンと赤くなった鼻先が可愛らしい。ラミーってどういう意味なんだろうと今更ながら調べてみると、「酔っ払いの」という意味だった。どうもこの可憐な魚には似つかわしくないな、と思う一方で、洒落っ気の利いた名前だと言えなくもない。

ラミーノーズテトラには、とてもよく似たレッドノーズテトラという近縁種がいる。この2種は慣れれば明確に区別がつく(ラミーノーズはえらぶたの後方まで赤くなり、レッドノーズにある体のラインがない)のだけれど、おそらくこの仲間が初めて日本に紹介された頃には混同していたのだろう。1986年初版の『カラーポケットガイド 熱帯魚図鑑』(松坂実著、マリン企画)には、「レッドノーズテトラ」の名前でラミーノーズテトラの写真が掲載されている。想像するに、最初は「レッドノーズテトラ」の名前で両者区別なく流通していたのが、マニアが「どうもレッドノーズテトラには2種あるみたいだ」と気づき始め、海外の知識を仕入れてラミーノーズテトラを分離したのではないか。そういうことはよくあるし、海外の名付けとの違いを見ていてもそういった経緯が頭に浮かんでくる。ネットが無い時代のマニアたちの知識欲と熱意には本当に舌を巻く思いだ。

そしてさらに、その両者のほかにもう1種そっくりな魚がいる。日本では前2種と区別しての流通はおそらくないので呼び名がついていないけれど、海外では"False Rummy-nose"と呼ばれているのでWikipediaなどでは「にせラミーノーズ」と訳している。尾びれの黒い模様が、より先端に近い部分にしっかりと入る、という点が見分けやすいのだけれど、ネット上ではかなり混同されているので混乱する。面白いのは、こんなにも前2種にそっくりなのに別属であるということで、つまり分類上はライオンとトラよりも遠い関係であると位置づけられている。

ラミーノーズテトラは妻のお気に入りの魚なので、喜んでほしさに自宅の45cm水槽に迎え入れようかとしばしば思うのだけれど、彼らの泳ぎっぷりには水槽が窮屈すぎるといつも思い直す。アマゾンののびのびとした水景こそがよく似合う、すがすがしさのある魚なのだ。


 
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2014年03月14日

メジナ Girella punctata

Girella punctata

メジナは関西では「グレ」と呼ばれて、「チヌ」のクロダイとともに釣り人に人気がある。両者がしばしば並び称されるのは、釣り人にとっての「大物」としての位置付けが似ているからだ。それにチヌ・グレという語呂の良さもあるし、あるいは撒き餌に米ヌカを使う特殊な釣りのターゲットとして、釣具店に並ぶヌカの袋にいつもセットで描かれていることも関係あるかもしれない。

けれども、彼らの魚としての魅力は好対照だ。

クロダイは、防波堤釣りの王様。
正真正銘のタイの仲間でありながら華やかさとは無縁の、削り出された鋼のように質実な輝き。釣り人と繊細な駆け引きをする慎重さと、突如簡単なサビキ仕掛けにかかる思いがけない大胆さ、それにスイカやコーンのような釣り餌にも食いつく好奇心は、高い知性を感じさせる。
港で人間の活動領域と隣り合わせに生きてきた魚らしく、どこか人を思わせる多面的な魅力に満ちている。

他方、メジナは小さな子どもの頃でこそ海水浴場脇のタイドプールやフェリーの繋留場なんかにひらひらと群れているけれど、本来は人間を寄せつけないような磯を棲み処とする魚だ。黒々とした岩肌を洗って逆巻く荒々しい渦に揉まれてきた体には、見るからにしなやかで頼もしく膨らんだ筋肉がついている。やや大きめの胸ビレは使い込まれたオールのように角が取れて滑らかで、細かな鱗の整然とした並びは水の抵抗が小さそう。実際、彼らの泳ぎはすいすいと軽やかだ。
釣り上げられたメジナの美しさもいい。張り詰めた体表は七宝焼のように艶やかで、深みのあるくすんだブルーからオリーブグリーンまで、海そのもののように様々な色味をまとっている。

スポーツ選手でたとえるなら、クロダイはここ数年のイチローだ。孤高の求道者のようで誰もに憧れられつつ、意外に人間味のある表情をふんだんに見せてくれる。メジナはプエルトリコのボクサー、フェリックス・トリニダード。しなやかで、リズミカルで、弾けるように強く、美しい肌を持っている。愛嬌のある童顔なところまで共通していて、魚をたとえるのにこんなにもピッタリな人が見つかるものかと我ながら驚いている。


 
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2014年03月07日

マダコ Octopus vulgaris

Octopus vulgaris

子ども時分の大阪湾の釣りでは、タコ狙いの釣り人をよく見かけた。防波堤のタコ釣りは足で稼ぐ類の釣りだから、竿をしゃくりながらとにかく歩き回る。その姿を見れば狙いは一目瞭然だった。
タコ釣りの仕掛けは面白い。赤やピンクのビニールでできたおもちゃのタコみたいなのに大きな鈎が隠されていて、エサだと思ってしがみつくとそいつに引っ掛けられるという寸法だ。タコを釣るのにタコ型の疑似餌はおかしかろうと思うのだが、どうもこれが彼らの食い気を刺激するらしい。ご丁寧にキャラクターみたいな目まで付いているのが滑稽だった。

仕掛けはさておくとしても、タコにはそもそもユーモラスな印象がある。きっと、真っ赤な顔で鉢巻頭からホカホカ湯気を立てている古典的な茹でダコのイメージのせいだ。
けれども実際のタコは思いがけないほどに獰猛で、獲物と見ると目まぐるしく体色を変えて辺りの景色に身を溶け込ませながら抜き足差し足近づいて、ガバッと腕を広げて一気に襲いかかる。吸盤がずらりと並んだ筋肉質の腕に締め上げられた獲物は、硬いクチバシで毒を注入されて動きを封じられ、そのままバリバリと噛み砕かれる。タコの捕食シーンはYouTubeにもたくさんアップされているけど、いずれもなかなか悪魔的でついつい見入ってしまう。
知能も優れているらしい。エサの入ったビンのふたをひねって開けることができると言うし、護身用に貝殻やココナッツの殻を持ち歩くタコもいるそうだ。タコはイカと違って不気味だ、もし地上の生き物だったらと思うとゾッとする…というような話を、椎名誠さんも昔エッセイに書いていた。

一度だけタコを釣ったことがある。狙って釣ったわけではなく、メバル狙いの仕掛けを上げてみると手のひらより一回り大きいぐらいの小さなタコの腕に鈎が刺さっていた。当時はスレ掛かり(エサに食いついて掛かったのではなく、体の一部がたまたま鈎に引っ掛かった)だと思っていたけれど、YouTubeのタコたちの貪欲さを見れば、あれもエサのエビに飛びついた結果だったんだという気がしてくる。
その小ダコは飼おうと思って持ち帰った。白っぽい色味になって水槽のガラス面にへばりついている、その体の表面に目を凝らしてみると、何かの回路を伝わる電気信号のように細かく目まぐるしく色が変わっている。あまり元気そうな姿じゃないなと思っていたら、翌朝には死んでぐにゃりと横たわっていた。知能の高いタコには耐え難いストレスだったのかもしれない。


 
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