2015年05月29日
ダイナンギンポ Dictyosoma burgeri
ギンポといえば江戸前の天ぷらネタとして美味いと評判の魚らしい。だから三浦半島西岸の小さな磯でこのニョロリと長い魚を初めて釣ったとき、持って帰って食べてみようかしらという考えが一瞬頭をよぎった。けれどもいつも魚を持ち帰る用意をせずに釣りをしているものだから、ほんの少し未練を感じながら元いた潮溜まりに返すことにした。結果的にそれは半分正解だった。天ぷらネタのギンポだと思っていたその魚は「本家」とは科レベルで異なるダイナンギンポで、あまり食用にしないものらしいと後で知った。ただ、釣り人の中にはこれも本家にひけを取らない味だと言う人もいるから、おそらくは実際美味いんだろうなと思う。
つぶさに眺めてみると、意外にもなかなか獰猛な肉食魚の顔をしている。目から吻にかけての部分だけを見ているとハタ科のようなバランスで格好良い。この顔を見ていると、恐ろしい見た目の魚として水族館の定番であるオオカミウオがギンポの仲間であるということにも納得が行く気がしてくる。その日はタイドプールや消波ブロックの隙き間での穴釣りで、近縁種のベニツケギンポを交えつつ4尾釣れた。うち1尾は浅い海底に見えているところへ釣り餌を落とし込むと電光石火で身を翻して食いついたもので、見た目だけでなく行動も思いきりのいい肉食魚のそれなのだと知った。
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2015年05月22日
ヨロイメバル Sebastes hubbsi
聞いた話では、朝釣り上げたクロダイのひれに生態調査のための目印を付けて海へ還すと、同じ日の午後同じ釣り人の針に再び掛かるということがまれにあるそうだ。一度釣り上げられた魚はショックでしばらく餌を口にしないものと思っていたけれど、そうとばかりも言えないものらしい。
さて水がぬるんで小魚たちも活発になったことだろうと、久しぶりに真鶴へ釣りに行った。いつものように岸壁沿いに仕掛けを落とし込んだ、その一投めから幸先よく魚が針に乗った。よしとばかりにぐるぐるリールを巻くと海面に小さな魚体が浮かび、そのまま引き揚げようとした次の瞬間、針がはずれてポロリと落ちた。あ、という間もなく、かれは身を翻して深みへと泳ぎ去った。
目に焼き付いたその姿は、茶とベージュのまだら模様に腹びれと尻びれのオレンジ色が鮮やかな根魚の体で、ヨロイメバルのようだった。だとすれば大好きなメバル属の、それもあまり見かけない顔との対面をみすみす逃したということになる。その口惜しさを処理しきれなくて、あれはハオコゼだったんだと何度も自分に言い聞かせた。けれどもさっきのシーンを幾度反芻しても、その姿は紛れもなくヨロイメバルのものなのだ。
ベラやネンブツダイが絶えず食い付いてくれてとても楽しい釣りだったけれど、心の隅では無念さが晴れないまま帰りの時刻が近づいた。えさの石ゴカイも最後の1匹になって、ならばと最初にヨロイメバルを逃したところへ戻って仕掛けを沈めた。電車の時間をジリジリと気にしながら竿を上下して誘いかけるのだけれど、なぜか最後の一投に限ってアタリがない。そうこうしているうちに釣り船が帰ってきてちょうど僕の前に接岸したので脇に避けつつ、いよいよ諦めようとしたところへブルブルと軽く心地好いアタリがきた。慌ててリールを巻くと、最後に来るんじゃないかとどこかで根拠なく期待していたヨロイメバルだった。釣り上げてから手の中に納めるまでのわずかな間にも、針がはずれてポロリと落ちるシーンが脳裡をよぎって汗が噴き出した。
一投めで釣りそこねた個体と同じであるかは分からないけれど、そう考えた方がドラマチックで心が躍る。ヨロイメバルを釣ったのは二度めのことで、前回は20年前の垂水港だった。その時は持ち帰って水槽に泳がせたらすぐにエビを丸呑みにした、その食欲旺盛ぶりに驚いたものだった。それがこの種の特性なのだとしたら、冒頭のクロダイのエピソードのヨロイメバル版だった、というのもあながち夢想とは言い切れない。
うわあと小声で叫びながらその姿を記憶と写真に大急ぎで焼き付けて、昂揚感を噛み締めながら釣り場を後にした。
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2015年05月15日
チョウチョウウオの幼魚たち Juvenile butterflyfishes in the genus Chaetodon
チョウチョウウオたちの泳ぎはとにかく流麗で優美だ。無重力の中を飛び回っているかのように緩急自在、すいと浮き上がったと思うと身を翻して一気に岩の間に滑り込む。体験してみるなら「本家」の蝶々になって空を飛ぶのもいいけれど、チョウチョウウオになって自らの泳ぎのなめらかさを肌で感じるのも捨てがたい。
池袋のサンシャイン水族館で一番印象に残ったのが、チョウチョウウオたちの心地好い泳ぎっぷりだった。大水槽の片隅にどちらかというと素っ気なく組まれた岩のアーチの下を、ひらひらと舞っていた。色鮮やかな彼らはたいていの水族館では南国の浅海をイメージした明るく賑やかな水槽を泳いでいるものだけれど、砂と岩のモノトーンをバックに青みを纏いながら戯れる姿はとても新鮮に映った。
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2015年05月08日
ムラソイ Sebastes pachycephalus
ムラソイに憧れ続けていた。
カサゴ属とは違うメバル属の魚でありながら、顔や体つきは同属の面々よりもカサゴによく似ていて色違いのように見える。色違い、というのは蒐集欲を刺激する「鉄板」ポイントだ。なんとかこの魚を手にとってみたい!そう思って、ここ数ヶ月いろいろな人の釣行記を読み漁ってはムラソイがいるらしき港へ釣りに行ったけれど、不発続きだった。カサゴは釣れるけれど、ムラソイが釣れない。ネットでムラソイであると気付かれずに「カサゴです!」と紹介されているのを見たりすると、憧れの魚に巡り合えず身を焦がし続ける我が身の不運と羨ましさに歯噛みする思いだった。
そんなムラソイに、はるばる片道4時間かけた伊豆稲取の海でとうとう出会った。港の短い堤防のたもとで、基礎の岩組みの隙間に落とし込んだイカの切り身に食い付いてくれた。スポンと引き抜いた魚体はカサゴにしては万遍なく茶色くて、もし違っていても落胆しないよう十分保険をかけつつ心の中で咄嗟に「ムラソイだ!」と叫んだ。手の中に納まったのは確かに、憧れ続けた魚だった。
そこは潮が引けば水深1メートルを切るんじゃないかというほどの浅場だった。確かにこれまで読み漁ったネットの記事でも、ムラソイはカサゴよりも浅場の障害物の隙間を好むというのを何度か目にしていた。けれども釣り人のごく一般的な心理としてやっぱりある程度の水深がある方が釣れる気がするのと、僕自身障害物の隙間を狙う釣りがあまり得意ではなくて(仕掛けが引っ掛かってしまうストレスに弱い)、気分的にそういう場所を避けていた。それでもカサゴは釣れるから、いつかはムラソイも釣れるだろうと思っていたのだった。でも、いくら似ていてもやっぱりカサゴとは別の魚。ムラソイにはムラソイの心地好い住処のあり方というものがあったのだ。
初めて出会ったムラソイは、幼い頃に何かに襲われでもしたのか片目が無かった。そのせいなのか、それともこの種に特有の顔つきなのか、撮影用のプラケースの中でこのムラソイはずっと真っ直ぐに目を見開いて、固い顔をしたままだった。誰も守ってくれない海の中を片目で生き抜くことの厳しさが、そこに表れているような気がした。
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2015年05月01日
ソイ3種 Sebastes schlegelii, S. vulpes, S. trivittatus
(上)クロソイ Sebastes schlegelii
(中)キツネメバル Sebastes vulpes
(下)シマゾイ Sebastes trivittatus
小樽の堤防周りは、ソイやカジカといったいかにも北海道らしい魚の子たちの「揺りかご」だった。
堤防の先端からおそるおそる足下を覗き込むと、海面までの高さと水深とを合わせて6、7メートル下の海底に基礎のブロックが整然と並んでいるのが見え、その白さに照り返されてエメラルドグリーンに透き通った水の中を小魚がゆらゆらと戯れているのが見える。わざと乱暴に、ドボンと音を立てて仕掛けを沈めれば、海面近くの小魚たちはコミカルに見える(トムとジェリーみたいに)ほどのすばやさでいっせいに岸壁の海藻の茂みに飛び込んで、しばらく息を潜めた後にまたひらひらと出てくる。
神奈川の真鶴ではメバルの幼魚で似たような光景が見られるけれど、小樽ではそれがエゾメバルやソイになる。Sebastes属の仲間が大好きな身には夢のようなところだ。
その日勢いよくエサに食いついてくれたソイはこの3種。それぞれに特徴ある色柄が美しいのは勿論、顔つきや体型にもその種らしさが出ているようだった。クロソイは下アゴが太めで肩が逞しく盛り上がり、キツネメバルは口元がスマートに少し尖った雰囲気。シマゾイはいわゆる「カエル顔」で、口が低い位置で大きく広がっている。勿論個体差はあるだろうけど、図鑑や写真で見て「その種らしい」と感じる顔の特徴が、こんなに幼い頃から備わっているのだと知って嬉しくなった。
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