2015年07月31日

“クワイカ”(アオリイカ) Sepioteuthis lessoniana

Sepioteuthis_lessoniana

八重山ばなしが続く。
石垣から竹富へ渡るはずだった旅の2日目は、台風接近のため早々に船の全便欠航が決まり、予定を変更して石垣で風が本格的に強まるまで釣りをすることにした。
島のあちこちを試してみたけれど、Nさんのタマン以外には釣果がないまま、午後2時頃からいよいよ風が勢いを増してきた。この後は翌日まで缶詰になることを見越し、今回の旅へお誘いくださったSさんとともにスーパーで買い物をして、ホテルに引き上げることになった。しかしうまい具合に、ホテルの目の前の岸壁は流れこそ早いものの波もなく、地形に助けられてか風も穏やかなのだ。部屋に荷物を置くと、短竿一本抱えて子どものように走って海に向かった。

コンビニで買ったタコのわさび漬けを餌に小魚と戯れていると、地元の人らしきおじさんが軽装で竿を振っている。何を狙ってるんだろう、と思っていたら、小さなイカをスポンと釣り上げた。ホテルから様子を見に出てきたSさんが話しかけると、「クヮーイカ」だという。岸壁の際から20センチぐらいのところにポイと横たえられているので、逃げてしまいそうでヒヤヒヤするのだけれど、イカは細かく震えながら体の色を複雑にぐるぐる変えるばかり。その間におじさんはポンポンと数ハイのクヮーイカを釣ると、さっさと引き揚げてしまった。

海面を見ると、小さなイカたちがインベーダーゲームのように隊列を組んで岸壁に近づいてくる。ならば、と僕も持ち合わせの小さなルアーを投げてみた。クヮーイカたちが腕を伸ばしてちょっかいをかけるのが見えるけれど、針には掛からない。そうこうするうちに隊列は沖へ去っていった。何気なく釣っていたけれど、ああも簡単に釣り上げるのはやっぱりおじさんの腕だろう。地元の人の釣りな感じだなあ、とSさんが感心した。

Sさんと調べてみると、クヮーイカというのはアオリイカの小さなもののことらしい。幼い個体というわけではないようで、これはこのぐらいの大きさにしかならん、とおじさんも言っていた。クワイカ、というのが正式な通称(?)で、近い将来アオリイカとは別種として記載されるであろうとのこと。そのニュースに触れたときには、きっとまた石垣のホテルの前の海のことを思い出すはずだ。


 
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2015年07月24日

“タマン”(ハマフエフキ) Lethrinus nebulosus

Lethrinus nebulosus

北杜夫の『どくとるマンボウ昆虫記』にこんなエピソードがある。幼い北さんが高価な昆虫図鑑に一目惚れし、一年以上悩んだ挙句ようやくそれを購入する。喜んでページをめくってみると、どうも見慣れない蝶ばかりが並んでいる。何かおかしいと思ってよくよく表紙を見ると、それは台湾や朝鮮の昆虫を扱った「続編」だった。間違いに気付いた北さんは深く深く落胆して、一時昆虫に対する興味を失いかける―。

この落胆はよく理解できる気がする。僕も図鑑が大好きな子どもだったけれど、外国の昆虫にはあまり興味がなかった。僕にとって図鑑は、異国の生き物を眺めて夢や憧れを膨らませるよりも、身近な生き物を知り、それを実地に確かめるためのものだった。僕の好奇心は、目の前の日常と知識とを結びつけることに向けられていたらしい。

八重山へ旅行するにあたって、心配なのはその点だった。南の海の魚たちは、普段慣れ親しんでいる関東近郊の海の魚たちとは随分顔ぶれが違う。見慣れない魚たちと、かれらに与えられた聞き慣れない八重山の地方名。その道のプロフェッショナルの方々が何でも教えてくださる贅沢な旅とは言え、僕自身の好奇心が追いつけなくなるのではないかと不安だった。

この旅初めての「見慣れない魚」は、2日目に出会った“タマン”(ハマフエフキ)だった。八重山の自然と海人に精通しているNさんがルアーで釣り上げたタマンの若魚は、僕がひそかに抱え持っていたそんな不安を一瞬で吹き飛ばした。図鑑では少しアンバランスな魚に見えていたけれど、実際に手にしたタマンのこの気品ある姿かたちはどうしたことだろう。鼻先の突き出した顔は惚れ惚れするような滑らかな曲線をなしているし、内側から輝くようなレモンイエローとスカイブルーを包んだ真っ白な鱗が整然と陽の光を照り返すさまは、どれだけシャッターを切っても満足できないぐらい美しい。

この海がこの魚を生んだんだ、という説得力が頭を直撃した。見慣れない魚だったはずのタマンは、八重山の自然の中でごく当たり前の日常として手の中にいた。目の前の生き物の姿に好奇心が追いつかない、などと感じる間もなく、僕はちっぽけな知識ごと八重山の圧倒的な自然に呑み込まれて、5日間を過ごした。


 
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2015年07月17日

“ガーラ”(オニヒラアジ) Caranx papuensis

Caranx papuensis

八重山旅行で出会った拓さんはまさに釣りの名人だった。八重山での釣りを愛するあまり、石垣の高校を選んで単身島に渡ったほどの人だ。魚にも人にも物静かに優しく接する拓さんの釣り姿は海に溶け込んでいるようだったし、海が拓さんを仲間として受け入れているようにも見えた。

台風の嵐が止んだ後、僕らは拓さんより一足先に石垣から竹富に渡って釣りをしたけれど、釣果は思わしくなかった。後から竹富へ渡ってきたはずの拓さんは夕方、大きなガーラ(オニヒラアジ)を手土産に僕らに合流した。竹富へ渡ってきたその足で、その日の海の様子を見てここだと狙いを定めた浜へ行き、あっという間に仕留めてきたのだった。
夜の宴は勿論、ガーラが主役になった。拓さんは鮮やかな手つきで見る間にガーラを捌いてサクを取ると、寿司を握ろうかな、と独り言のようにつぶやいて黙々と寿司を握り、その間に兜焼きと、アラとワタの潮汁を作った。みんなが歓声を上げて寿司を頬張る中、静かに泡盛を飲んでいた拓さんがふと、風が変わったな、雨が降るのかな、とやっぱり独り言のようにつぶやいた。そして10秒も経たないうちに本当に雨が降ってきた。

寿司を握りながら拓さんは「今日みたいに必要があって釣りをしている時は、いつも必ず海が釣らせてくれてきたような気がする」と言った。この人なら本当にそうだろう、と思った。


 
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2015年07月10日

ヒラスズキ Lateolabrax latus

Lateolabrax latus

20年ほど前の話だけれど、「いい魚を買うなら絶対にデパ地下」というのが母の持論で、中でもお気に入りは梅田の阪神百貨店だった。当時、阪神といえば天井は低いしフロアも何となく薄暗い印象で、百貨店としては超一流ではないように思えたけれど、地下の生鮮食品コーナーの魚はとにかく他の百貨店を凌駕しているということだった。

そのすり込みのおかげもあって、百貨店というのは魚に関して街のスーパーよりワンランク上だと思っている。スーパーではなかなか見かけない種類やサイズの魚が並んでいることが多いし、氷を敷き詰めた台の上に華やかに魚が並べられている見た目もとてもいい。尾頭付きの大きな黒むつ、12,960円、なんていうのはやはりスーパーでは見られない。

凄い、と思ったのは新宿伊勢丹。魚勢という魚屋さんが入っているのだけれど、切り身のコーナーにあんなに心惹かれたのは初めてだった。すのこの上に見事なサイズの切り身が整然と並べてある。そして唸らされたのはスズキの隣にヒラスズキを区別して並べるというこだわり。確かに別の魚だし、マサバとゴマサバを区別するのと同じだと思えば唸るほどでもないのかもしれないけれど、ヒラスズキにそんなに知名度があるとも思えない。それを当たり前のようにスマートに別のものとして客に選ばせるというのは、店のこだわりを示すとともに客の水準を高く見ていることの表れでもある。新宿伊勢丹の一流百貨店としての矜持を見た気がした。


 
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2015年07月03日

カサゴ Sebastiscus marmoratus

Sebastiscus_marmoratus_150703

カサゴやメバルのように、「根」と呼ばれる岩礁に居着く魚の多くは、釣り人の多い海からは見る見るうちに姿を消してしまう。

どのようなプロセスでそれが起こるかというと、まずは釣れる魚がどんどん小型化する。良い根は大きくて競争力のある個体が占め、それが釣られてしまうと次に強い個体が代わりにそこへ居着く。競争力はほぼ魚の大きさに比例すると考えれば、それが繰り返されることで根に残る魚は次第に小さくなってゆく。10年前はここで大きなカサゴ・メバルが入れ食いだったけど最近は小さいのばっかりだ、という釣り人の嘆きは、武勇伝を大きく語りたがる気質を差し引いたとしても、事実だと考えてほぼ間違いない。

それでも次々に「補充」が利けば、魚の数や大きさは保たれる。ところが根魚の類は成長に時間がかかるため、若い個体が釣られてリリースしてもらえないとなると個体数の減少に歯止めが利かない。そして姿を消してゆく。たかが釣り人がちょっと釣ったぐらいで…と見る向きもあるけれど、関東近郊の人気の釣り場は休日ともなると岸壁にずらりと釣り人が並んで糸を垂れる。その海の中を想像すれば、根魚があっという間に根絶やしになってしまうことにも納得がゆく。

子どもの頃から根魚が好きなので、カサゴやメバルに出会えない海での釣りをつい不毛に感じてしまう。かれらが心地好く竿を震わせてくれる釣り荒れていない海を求めて、何時間も電車に揺られたり、駅から延々自転車を漕いだりしている。カサゴの顔を見ると、この海はまだ大丈夫だと胸を撫で下ろすと同時に、ここも次第に釣り荒れてゆくのだろうかと不安になる。


 
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