2015年08月28日

トラフグ属の仲間 genus Takifugu

genus Takifugu_150828
(上)ゴマフグ Takifugu stictonotus
(中)マフグ Takifugu porphyreus
(下)ムシフグ Takifugu exascurus


形が同じで、色や模様が違うものはコレクション欲を刺激する。トラフグ属の面々は、いかにもフグというつるりと愛らしい体型に、身近な防波堤釣りでもいろんな種類に出会えるというバリエーションが魅力だ。釣りでは小面憎いエサ取りのフグだけれど、見分け方を覚えると釣るのも楽しくなる。ネンブツダイの仲間もそうだけれど、「わかる」という快感が伴えば、エサ取りの小魚たちも愛らしく見えてくるんじゃないか。

最近通い始めた近所の居酒屋のメニューで、いっとうお気に入りなのが「フグのから揚げ」だ。防波堤で釣れるような小さなフグなんだけれど、フグらしくぶりっとかたまった身はしっかりフグの味で美味しい。750円。他にもっとお安いメニューもある中では少しお値段が張るな、と思いつつもいつも頼んでいる。お皿の上のから揚げを見るたびに、釣ったフグを手のひらに収めたときのブヨンとした皮の感触や、それが皮下の筋肉の上でずるずるとずれる「遊び」の感触、それに突然思いついたようにせっせと小刻みに息を吸って、ブツブツ言いながらまるーく膨らんで張り詰めた皮の感触を思い出し、微笑ましい気持ちになりながらカラッと揚がった衣に歯を立てている。


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2015年08月21日

メナダ、ボラ Chelon haematocheilus, Mugil cephalus

Chelon_haematocheilus.jpg
(上) メナダ Chelon haematocheilus
(下) ボラ Mugil cephalus


メナダ、ボラ。水族館でかれらの泳ぎ姿を見ると、その美しさに惚れ惚れする。水の抵抗が少なそうな紡錘形の体に、ピンと張った6カ所のひれ。特に、えらの後ろから斜め上方向へ(つまり、水面の方へ)水を切るように張り出した胸びれと、たった4本の棘条に力を行きわたらせてヨットの帆のように高々と掲げた前の背びれは、水面直下をスイスイ泳ぎ回り頻繁に水面上へ跳ね上がるかれらの身のこなしに対する、心地好い説得力がある。
大水槽でボラたちが小さな群れをなして岩組みに付く藻類を食む姿を見ると、いつも「戦闘機みたいだ」と思う。美しさと兵器とを結びつけることに抵抗はあるけれど、機能を極限まで追求した結果の美しさということなんだろう。それが人間によってなされたか、自然の淘汰によってなされたかという違いがあるだけで。

かれらの魅力を語るにおいてもう一点外せないのは、その「可愛らしさ」だ。つぶらな目と平たくのっぺりした口は、とてもおっとり呑気そうに見える。体が大きくて頑丈な鱗にびっしり覆われているから敵は少ないだろうし、雑食性でいろんなものを食べるから血眼になって獲物を追いかけなければならないということもない(おそらく)。鷹揚に育つ理由は揃っている。
大きな川の河口や港では、メナダやボラが飛び跳ねる姿をよく見かける。水面から飛び上がって、丸太のようにまっすぐ体を伸ばしたまま、おなかからバッシャーンとドンクサく着水する様子は、それを楽しんでいるようにも見えて微笑ましい。遊ぶだけの知性があるのではないかとも思ってしまう。

そんな魅力的な魚だけれど、防波堤の釣り人には不当な扱いを受けている。身近な大物であるにもかかわらず、メナダやボラが喜ばれることはほとんどない。それはひとえに「不味い、臭い」というイメージによるものだ。確かに都市部の汚れた海の藻類をまるで掃除するかのように食べ続けたボラはあまりおいしくなさそうだし、こんなに似ているのにメナダの旬は夏でボラは冬、というのもややこしくて、いま目の前にいるこの魚がおいしいのかおいしくないのか、わからなくなってしまう。
ボラを不味い、臭いと言っている釣り人のうちどれくらいが、それを実際身をもって知っているのだろうか。海や季節や釣った後の扱いや、さらには個体によっても味は違うはず。僕は今度メナダかボラを釣ったらぜひ試しに食べてみたいと思っている。


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2015年08月14日

ヤリタナゴ、ほか同属二種 genus Tanakia

genus Tanakia
ヤリタナゴを含む、アブラボテ属 genus Tanakia の面々
(上)ヤリタナゴ Tanakia lanceolata
(中)ミヤコタナゴ Tanakia tanago*
(下)アブラボテ Tanakia limbata


岡山の妻の実家へ帰省すると、すぐ近くの水路で魚をすくったり釣ったりするのがお決まりの楽しみになっている。きっかけは2014年の正月だった。ちょこまか泳ぐ小魚を岳父のたも網で戯れにすくってみると、入ったのは青く輝くうろこが整然と並ぶヤリタナゴだった。ゴミが浮かぶ三面護岸のものとは思えないその美しさに、すっかり夢中になった。

それ以来、帰省のたびにヤリタナゴとの再会を期待していそいそ水路へ向かうのだけれど、ある時は美しいオスが見えていながらすくうことができず、またある時はタナゴたちがすっかり姿を消していて、なかなか手にすることができない。帰省はせいぜい年に2、3回のことだから、空振りすれば次のチャンスは数カ月先になってしまう。後ろ髪を引かれながら東京へ戻る、ということが続いた。

そしてこの夏の帰省。タナゴ釣りの仕掛けとエサを準備万端整えて、ついにヤリタナゴを再び手にすることができた。釣り上がった瞬間のタナゴの仲間らしからぬシャープな体型に、ワーッと頭に血が上った。色の方はうっすらだけれど、尻びれの赤がこの種らしさを主張して格好いい。こうして憧れの魚を手にするたびに、この川や海がいつまでもかれらのいい住処であってほしい、と思う。
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*遺伝的アプローチにより、ミヤコタナゴを新たに別属とする説が提唱されているとのこと。



 
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2015年08月07日

ウルメイワシ Etrumeus teres

Etrumeus_teres

マイワシカタクチイワシ、そしてこのウルメイワシの3種が、正統のいわゆる「いわし」だということになっている。分類上はこの3種を括ることに根拠はないのだけれど、Wikipediaもこの3種が「いわし」であるとはっきり言っているから、かれらを「いわし」と呼んで注意を受ける筋合いはないのだ。(たとえば「たい」などは要注意で、キンメダイやフエフキダイを「たい」と呼ぶと場合によっては刺すような注意を受けるかもしれない。)

名づけには大きく分けて2つの体系がある。
まずは分類学に基づく名づけ。何が同じで何が違うのか、どこがどれくらい違えば別の名が必要になるのか、ということを丹念に追究した学術的な名づけだ。
もう一つは、人々の生活の中から自然発生的に生まれてきた名づけ。いつ、どこで、誰がつけたか分からないが、古くからそう呼ばれているというものだ。分類学に基づいての名づけにおいても、名そのものはこうして自然発生的につけられたものから流用されることが多い。

これら2つの体系は、手法は違えど「目の前のものが何であるかを知るための名づけ」であることは同じで、木の枝のように分岐しながらそのものに関わる人にとって必要なレベルまで細分化されるベクトルを持っている。
「いわし」で言えば、マイワシ、カタクチイワシ、ウルメイワシの3きょうだいは分類学の枝では少し先端から離れたところで分岐してしまうけれど、生活に根差した名づけの枝では最も先端のところで仲良く3つまとまっている、ということになる。

分類学では常に科学的な根拠が示されるけれど、生活に根差した名づけには「人がそのものをどう見ているか」という視点が生々しく表れる。「いわし」は青物の小魚だけれどそれだけではなく、体が平たくあってはならなかったし(サッパやニシンが「いわし」ではないことから)、体にどこか頼りない柔らかさがなくてはならなかった(トウゴロウイワシが「いわし」ではないことから)。かれらを「いわし」と名づけた人々には、たとえ明文化されていなくてもはっきりとした「これはいわしで、これはいわしではない」という定義があったはずだ。

そんな「いわし」3きょうだいは、見た目に魅力ある魚たちだ。マイワシは「これぞ小魚」という均整の取れた美しい体型をしているし、カタクチイワシは独特の顔とか細い体つきがキャラクターじみている。そしてウルメイワシはスカイブルーのラインと滑らかで艶やかな体表が群を抜いて美しい。丸々と太った個体の曲線美は、その名の通り目の潤みとも相俟って色気がある、とすら言える。



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