
タケノコメバルに憧れ続けた1年だった、と言っても過言ではない。
子どものころ、釣りを教えてくれた父の会社の村田さんが、父の釣り上げたカサゴを見て「ガシラですやんか!」と喜色を浮かべてから、僕は根魚と言われる一群の魚たちを好きになった。ゴツゴツした頭やとげとげのひれ、大きな目と口、そして釣り上げられたときの威嚇の姿の華々しさに夢中になった。
中でもいわゆるメバルを筆頭とするメバル属(Sebastes属)の面々は、似た体形に色柄のバリエーションが多く、蒐集欲をかきたてた。繰り返し図鑑を眺めていると、形が似ていても単なる色違いではなく、種ごとに固有の顔つきや体つきがあるのだと分かってくる。釣り場で新たにメバル属の魚と出会うたびに、そうした図鑑の感覚と目の前の現物とが二枚貝のようにぴったりと符合したり、あるいは自分の感覚のほうが微妙に修正されて、脱皮したヤドカリのようにかたちを変えて居心地よく収まるのが快感だった。
そしてこのタケノコメバルは、防波堤釣りで出会える主だったメバル属のうち、まだ見ぬ最後の一種だった。
図鑑やネットの情報では、日本各地の沿岸に広く分布するように書いてあるけれど、実績をよく目にするのは愛知・静岡の東海、岡山・広島の瀬戸内、宮城、石川あたりで、僕がいつも釣りをしている関東近郊にはまるで気配がなかった。だから、ほぼ20年ぶりに本格的に釣りを再開した昨年の秋以降、旅行や帰省で関東を離れて釣りをするときには、「タケノコメバルがいそうな海」を最優先に釣り場を決めていた。けれども、出会うことはできないままだった。
シルバーウィークは縁に恵まれて愛媛の宇和島から香川の坂出にかけてを旅行した。タケノコメバルにはやはり出会えず、この旅行での最後の釣り場に選んだのが、坂出駅からタクシーで15分ほど走って小さな山を越えたところの静かな漁港だった。
足下に群れている5センチほどのメバルたちの横をかすめるようにして仕掛けを沈めると、岸壁にびっしりと着いた牡蠣殻の隙間からまだら模様の魚が目にもとまらぬ速さでエサに飛びつき、くわえきらずにまた引っ込んだ。メバルたちと同じ、ほんの5センチほどの幼魚だったけれど、まぎれもなくタケノコメバルだった。一気に全身に血が巡り、海へ落ちんばかりに身を乗り出してまた仕掛けを沈めた。何度かに一度、タケノコメバルが飛び出してくるのだけれど、警戒心が強くて食うに至らない。
釣れるかどうか分からないそのやり取りに時間を奪われるのも惜しく、別のやり方でもう少し成長したタケノコメバルを狙うことにした。この港には、確実にタケノコメバルがいる。そう信じて釣りをできる幸せに高揚しながら、港じゅうを探り歩いた。
けれども釣れないままじりじりと時間が過ぎて、次第に日が傾き始めた。あがくように、やっぱり最初に幼魚を見た場所へ戻ったけれど、潮が満ちて海の様子はすっかり様変わりし、幼魚はもはや見当たらない。遠目にあまり根魚の気配はないかなと思った岩場へも、後悔のないよう足を運んだけれど、思わしくなかった。
帰りの時間が30分後に迫って半ば諦めかけた頃、タケノコメバルは突然釣れた。それまで竿を震わせていたベラやタイの子たちとは明らかに違う、思い切りよくブルブルとしたアタリで、慌ててリールを巻きながら微かな予感があった。海面からスポンと、べっ甲色の魚体が揚がった。傾いた陽ざしに黄金色に照らされて、あれだけ恋い焦がれた魚体が手の中にある。夢が叶ったことに興奮すると同時に、残り僅かな滞在時間、この姿を目に焼き付けることに使うのか、写真に残すことに使うのかという葛藤が始まった。
メバル属にあっては珍しくシャープで細長く、ハタ科のようにも見える顔つきは図鑑や写真で見ていた通りだったけれど、撮影用のケースの中できょろきょろと辺りを見回す目の動きや表情は、やっぱりメバル属のそれだった。立ったり這いつくばったり、あらゆる角度から眺めて、200枚近くの写真を撮った。最後、名残を惜しみつつ手から直接海面に放すと、ふわりと手のひらを離れて一瞬漂ったあと、身を翻して深みへ帰っていった。