
ムラソイが海の魅力を教えてくれたのだとしたら、このカサゴは小学生の頃からすぐ隣を伴走してくれているようなものかもしれない。岸和田沖の一文字で父が釣った小さなカサゴに、僕たち父子の釣りの師匠である村田さんが「ガシラですやんか!」と喜色を浮かべて以来、カサゴは僕にとってずっと「心地好く手の届く憧れ」であり続けた。だから6年ほど前、ふと思い立ってそんなふうに思い出深い釣魚たちをイラストボードに並べて描いていったときも、カサゴには特に気合を入れた。なんといっても難しいのは、複雑に斑点が重なり合ったまだら模様だ。これは工夫がいるぞと、脱衣場から綿棒を一本とってきて、絵の具をのせては綿棒で丸く拭き取るということを繰り返した。そうして完成したカサゴは、素晴らしくリアルに特徴を捉えているように見えた。「見て!世界で一番うまいカサゴが描けた」「人類史上一番うまく描けたカサゴや」とはしゃいだことを、いまだに妻と話題にしてはケラケラ笑う。なにしろその「世界で一番うまいカサゴ」は、たった4センチほどの大きさでちんまりと描かれた、リアルというよりは可愛らしいイラストだったから。でもその時は本気だった。
その後何度もカサゴを描いた。さすがに「世界一うまい」とはしゃぐだけの無邪気さはもうないけれど、その代わり発見したことがある。「手の届く憧れ」であり続けたカサゴとはいろんな形で出会ってきたので、心の中のイメージが豊かに発酵しているのだ。昼間の海で釣り上げられた小さな個体が精いっぱいに広げる胸びれの、櫛の歯のような繊細さ。真っ暗な海でゴゴンと竿先を抑えて揚がってきた大きな個体が、堤防に転がる時の重たい音。水槽の中でガラス越しにこちらを見る、愛嬌のある目と意外にも品よく尖った口先。そこからさらにいろんな感情や思い出が繋がって、イメージが広がってゆく。
自分と並走してくれるそんなトリガーを持てるのは、とても幸せなことだと思う。