2016年03月25日

カクレクマノミ Amphiprion ocellaris

Amphiprion_ocellaris

クマノミといえばやはり真っ先に思い浮かぶのはイソギンチャクとの共生関係で、程よい毛足のカーペットみたいなイソギンチャク――その名もまさに旅籠、ハタゴイソギンチャク――にふかふかと心地好さそうに体を埋めている姿を写真や映像でよく目にする。

この共生関係は互いに利益をもたらすもので、子どもの頃に読んだ図鑑にはクマノミがイソギンチャクによって身を守ってもらう一方、イソギンチャクはクマノミから餌のおこぼれを得ているというようなことが書かれていた。なるほど昔話的な擬人観の香るシンプルに分かりやすい助け合いの構図だけれど、最近の研究によると実態はもっと複雑らしい。クマノミが守ってもらうのはそれとして、イソギンチャクが利を得るストーリーは、かれらが体内に共生させている「褐虫藻」なる助演俳優も絡んでくる込み入ったもののようで…

<新説・クマイソばなし>
・イソギンチャクの触手には毒針があって、普通の魚は近寄れない。クマノミは毒針に順応することでそこを安全な棲家としている(クマノミの利@)
・が、そんなイソギンチャクをついばんで食べる魚もいる。クマノミはそんな魚からイソギンチャクを守っている(イソギンの利@)
・イソギンチャクには「褐虫藻」という藻類が共生しており、その光合成によって生じた栄養分を受け取っている
・クマノミが守ってくれるので、イソギンチャクは体をのばして日光を浴びることができ、褐虫藻の光合成が活発になる=受け取る栄養分が多くなる(イソギンの利A)
・クマノミの排泄物を肥料とすることで、褐虫藻の光合成が活発になる=受け取る栄養分が多くなる(イソギンの利B)
・クマノミはイソギンチャクの粘膜とか卵とか、実はちょっと食べている(クマノミの利A)

そしてこの基本の構図に、クマノミ・イソギンチャクそれぞれの種の特性も影響して両者の関係は随分とバリエーションに富んでいる。

擬人的な捉え方はけっして嫌いではないのだけれど、そんなかれらの共生関係が牧歌的なものでない一つの表れは、それぞれの生きる姿のたくましさ。イソギンチャクが魚を捕まえて引きずり込んで食べるさまはYouTubeで見るたびに鳥肌ものだし、昨年の夏に石垣島の港で釣ったハマクマノミは荒々しいアタリと引きっぷりにふさわしい、肉厚の体とふてぶてしい顔をしていた。

このカクレクマノミはクマノミの中でもスレンダーな体型で顔つきも優しく、他種をさしおいてニモに抜擢された(厳密にはよく似た別種だそうだけれど)のにも納得がゆく。水族館でイソギンチャクにふかふか包まれる姿を見て、しかし、その共生関係が生まれてきた海の厳しさを少し想像した。


 
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2016年03月18日

スズメダイ Chromis notata

Chromis_notata

大阪で生まれ育って、小学校の高学年頃から始めた釣りの行き先はもっぱら南港や泉南の堤防だった。父との釣りはいつも楽しくて、岸壁から海に向かって垂れ下がる短竿の穂先や、しゃがみこんで何やら仕掛けを結んでいる父から聞こえてくる防寒着の衣擦れの音、街の灯を映して赤らんだ曇り空に黒々と浮かぶかもめ大橋の影と波に揺られる赤い電気ウキの光、そういったものを鮮明に脳裡に呼び起こすたびに、自分がメガネ姿の小学生のままここにいるような感覚に見舞われる。
そして、そんな記憶の中の海はたいていドロンと灰みがかって濁っていて、魚の姿なんて見える方が珍しい。そのことを思い出すと、僕は愛情がそのほとんどを占める万感とともに「きったない海やったなあ」と笑いたくなる。

だから、それこそ20年近くぶりに熱心な釣りを関東で再開したとき、真鶴や三浦の底まで見える透明な海に泳ぐとりどりの小魚たちには衝撃を受けた。そんな中でもこのスズメダイとメジナの子どもたちの存在感は際立っている。ベラたちほどには気ままでなく、ネンブツダイたちほどにはきちんと群れることに熱心でない。一個体一個体が自分の遊泳力に自信を持っていそうな、きびきびとした心地好い泳ぎ姿で中空を戯れている。そんな光景を思い起こせば、たちまち頭上にはスカンと晴れた空が、目の前ぐるりには青い海と人影のまばらな堤防がゆらりと立ちあらわれる。

エサ盗りだと言われてあまり歓迎されないことも多い魚だけれど、そんな豊かな海の象徴として僕にはとても愛くるしい。


 
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2016年03月11日

イサキ Parapristipoma trilineatum

Parapristipoma trilineatum

去年の秋、伊豆大島で泊まりがけの釣りをした。宿の夕飯のあと夜の港へ釣りに出ると、堤防の根元のあたりに何人かの釣り人がクーラーボックスに座って海へ竿を突き出していた。イサキを狙っているということだった。大阪湾や相模湾で防波堤の釣りをしていてイサキに出会う機会はこれまでなかったから、「陸っぱり」でイサキを狙おうという伊豆大島の海の「器の大きさ」を改めて感じた。釣れたら見せてもらいたいなと思っていたけど、僕が見ている間には釣れなかった。ちなみにその夜の僕自身の釣果はというと、大きなクロアナゴとオオスジイシモチのみ。あまり振るわなかった。

イサキは近所のスーパーでも魚コーナーを覗いてみれば比較的高い確率でそこに並んでいる一般的な食用魚だけれど、イサキの味は?と訊かれて口の中にありありとそれを想像できる人はどれくらいいるのだろうか。少なくとも僕はサンマやアジのように、「この魚の味はこれ!」という対応関係をもってはイサキの味を思い描けない。けれども以前、友人夫妻が遊びにきてくれた日にイサキとイトヨリを並べてアクアパッツァにしたことがあって、そのときにイトヨリと比較してのイサキの味の複雑な深みにたいそう感じ入った。滋味のある、とはこういうことであろうかと思い、それ以降スーパーでイサキを見るたびにアクアパッツァやな、と思っている。


 
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2016年03月04日

ヌマムツ Candidia sieboldii

Candidia_sieboldii

このヌマムツにはカワムツという近縁種がいるのだけれど、その昔両者は分類上区別されずに同じカワムツとして扱われていて、「それでも何か違う」と考える人々によって「カワムツA型」「カワムツB型」と呼ばれていた。この暫定的な名づけの落ち着かなさ!おそらく図鑑か何かでそれを見た僕は、「分からない」ということにロマンを感じるのではなく、何か苦手だなあという印象をカワムツという魚に持った。根っから、研究者気質ではなかったということらしい。その後両者は晴れてヌマムツ、カワムツの2種にきれいに分類されたのだけれど、苦手意識は払拭されなかった。

それがようやく拭われたのは、カネヒラとの出会いと同じく昨年の夏。この「魚の譜」を続ける中で淡水魚というと再三出てくる、妻の実家脇の三面護岸の小川でのことだった。釣れたときにまず思ったのは「や、あのヌマムツだかカワムツだか、ややこしい魚…」ということだったけれど、ここで現物を手にしたことでようやく両者の見分けがだいたいつくようになった。そうなると、これまで苦手なものだから遠巻きに見て「体形はオイカワに似ているけれどどうも地味な魚」程度の外見的印象しか持たなかったのが、安心してまじまじと眺めることができるようになる。ケースの中で荒い息を吐くこのヌマムツによくよく目を凝らしてみると、うっすらと婚姻色の気配の浮いたオリーブ色の体色もさることながら、オイカワと比べてしっかりとした太さのある頭の形にこそ魅力を見たように思った。この逞しさとかすかなふてぶてしさが、オイカワの極彩色に負けているとはなかなかどうして言うことができない。


 
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