2016年08月26日

ホシミゾイサキ Pomadasys argenteus

Pomadasys argenteus

子どもの頃から魚が好きで、よく図鑑を眺めて過ごしていた。だから、さすがに研究者の方のようにはとてもいかないけれど、初見の魚でもある程度は類縁関係の想像がつく。形態を緻密に見てというよりは、全体の雰囲気とか表情とかひれの感じとか泳ぎ方とか質感から「あれの仲間だ」と当たりをつける、素人の感覚的なものだ。

その感覚にはそれなりに自信があったのだけれど、この魚については「からきし」だった。ホシミゾイサキ。これが類縁関係のまるでないキチヌの類にとてもよく似ている。ネットや図鑑で見ると確かにタイの仲間とは少し顔つきも体形も違うのでちょっとがっかりするのだけれど、釣りあげられた幼魚がピチピチ跳ねるのを見ていると、分かっていても「あれ?今回こそはキチヌの子かしら」と思うほど似ているのだ。
南方の魚だから大阪や東京近郊の釣りでは出会うことがなかったし、鮮魚としても見たことがない。そういえばこの字面にはうっすら覚えがあるような…という程度の馴染みのなさだったから、つい先日客人Oさんの息子さんが釣り上げたのを見て、ガイドOさんが「ホシミゾイサキだ!」と声を上げなければ、僕はすんなり「オキナワキチヌの子が釣れた」と思っていたかもしれない。

そういえば石垣島に越してまもなくの頃、こちらでお世話になっている写真家のNさんが「こっちの河口域にいる、『ガクガク』と呼ばれるチヌっぽい魚」の話をされていたのを思い出した。僕はそのときチヌっぽい汽水魚と聞いてクロサギの類の何かのことかなと思っていたのだけれど、それどころじゃない、もっと本当にチヌっぽい魚なのであった。その通称のとおり、釣り上げると喉のあたりから音を発する。幼魚は河口域で小さなソフトルアーをよく追い、とても愛らしい。


 
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2016年08月19日

“グルクン”(タカサゴ) Pterocaesio digramma

Pterocaesio digramma

浅瀬を泳いでいると、グルクンの幼魚らしき小魚の群れによく出くわす。それはもう無数といってよいほどの数で、ひとつの群れがパチパチと鱗をきらめかせながらざあっと眼前を流れ去ったと思うと、別の群れが下の方からいっせいに流れ込んでくる。そのダイナミックな動きと、青い海の中という異世界感、それに情景が言葉を介さず胸を打つさまは、ディズニー映画『ファンタジア』で、ミッキーマウスが「魔法使いの弟子」の旋律に合わせて波を操るシーンを思い起こさせる。

八重山の海の名人、Iさんの船に乗せていただいてグルクン釣りに出た。西表島の、緑の壁のような山々を眼前に、ピタリと凪いだヨナラ水道は10メートル下の海底まで見えるほどの透明度。撒き餌をすると丸々と肥えたグルクンがたちまち群がってきて、水面下1メートルあまりのところで次々サビキ仕掛けに食いついた。初めて手にした生きたグルクン、美しくて愛らしい。グルクンの色というのは図鑑やネットを見ても赤いのやら青いのやらまちまちで、どれが本当の体色やらと思っていたけれど、実際に赤みにはかなり個体差があると知った。

本州の沿岸部でサビキ釣りといえばアジ、サバ、イワシだけれど、グルクンはどれに該当するかなと考えながら、船の下にどんどん集まってくる魚影を眺めていた。整った顔立ちの、魚としての完成度の高さはアジに似ている。水面越しに見える泳ぎ姿の、意外に逞しい丸さ・太さはサバを思わせる。そして撒き餌に興奮してどんどん水面近くまで上がってくる気軽さはイワシだろう。「サビキ御三家」の特長を併せ持ち、さらには南の海らしいこの色彩の美しさ。グルクンがこの地で愛される理由がよく分かる。


 
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2016年08月12日

シマキンチャクフグ Canthigaster valentini

Canthigaster_valentini
シマキンチャクフグ Canthigaster valentini(左上)と、それに擬態するノコギリハギ Paraluteres prionurus(右上)、コクハンアラ Plectropomus laevis の幼魚(下)

シマキンチャクフグには毒があって、どう学習したのか賢明な捕食者たちは手を出さないらしい。それにあやかって、自らに毒はないけれどかれらの姿を真似ることで捕食者から逃れようという魚たちがいる。ベイツ型擬態と言うそうなのだけれど、ノコギリハギがシマキンチャクフグを真似るそれは全ベイツ型擬態の中でも相当ハイレベルなのではないかと思う。本当によく似ている。

ノコギリハギの完成度には及ばないけれど、他にもシマキンチャクフグを真似ているらしき魚がいる。成魚は1メートルにもなるコクハンアラの幼魚がそうで、初めて海の中で見た時は尾びれをひゅっとすぼめて体をカールさせる泳ぎ方までよく似ているのに感心した。それはシマキンチャクフグにも初めて出会った日のことだったから、真似る魚と真似られる魚が同じ場所にいるというのは当たり前のことではあるのだけれど、よくできた話だと可笑しかった。

擬態というものはつい「真似る・真似られる」の関係で語りたくなってしまうけれど、それはただ人間が特別な意味を付与しているだけで、そこで起こっているのは数千年、数万年の時間が経つうちに毒を持ったものと、たまたまそれに似たものが生き残ってきたというだけのことだ。
自然は常に、「理にかなった地点」に向けてゆっくりと流れている。そして「理」そのものもまた自然の流れに影響を受けて少しずつ姿を変えるから、この流れは止まることがない。その中で立ち現れてくる生き物たちのあり方のいくつかが、波が削り出した岩が偶然人の顔に見えるのと同じように、人間の「意味」の世界にきれいにはまり込む。そして、自然が経験してきた膨大な時間とそこで行われてきた淘汰の営みを、改めて思い起こさせてくれる。


 
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2016年08月05日

“クワイカ”(アオリイカ) Sepioteuthis lessoniana

Sepioteuthis_lessoniana_160805

去年の夏、石垣港で釣りをしていると、小さなイカがインベーダーゲームのように隊列を組んで泳いでくるのが見えた。そこへ地元のおじさんがふらりとやってきて、見る間にポンポンと数ハイ釣り上げた。おじさんはそれを「クヮーイカ」と呼んでいて、そこでアオリイカには3つのタイプがあること、このクワイカは成長しても胴の長さが15センチ足らずの小さなイカであることを知った。

一年後、今度はリーフエッジの海の中でクワイカの隊列を見ることになるとは、そのときの僕にはもちろん知る由もない。明らかに魚とは異なる色形をした物体が等間隔に並んで静止しているさまはさながらUFOのようだった。イカたちはぐるぐると体色を変えつつ縦に並んだり横に並んだり、僕との距離を測りながら滑らかに泳いだ。その姿は高い知能を感じさせて、もし敵に回せばインベーダーゲームのキャラクターより手強いに違いなかった。

その数日後、防水カメラを故障させた僕はシュノーケリングを諦め、今度は釣り竿を持って同じリーフエッジに出かけた。何度目かに投げたルアーを、クワイカが足下まで追ってくるのが見えた。イカ釣りは未経験だったけど、去年のおじさんの姿が頭にあったので、いつも餌木は持ち歩いていた。仕掛けを餌木に替えて投げ込むと、1匹が即座に反応して触腕を伸ばし、呆気なく針に掛かった。水面近くでブシュッと音を立てて墨を吐いたイカが、手もなく僕の掌に収まった。墨は海藻の切れ端みたいに、噴き出された形を保ったまま波間に漂っている。

初めて手にする釣りたてのイカの美しさたるや!魚と少し違った、水そのもののような透明感に、淡くて柔らかい金属光沢が細かく散りばめられている。夜はイカ刺だ、と喜んで持ち帰り、スッパリした舌触りと甘みを楽しんだ。


 
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