
わかさぎ、とはなんと瑞瑞しく美しい名前だろう。
「名は体をあらわす」という思考を僕は好きだけれど、この名付けはまさにこの魚の有り様をたった四つの音で言い表している。引っかかるもののまるでない、すらりとした輪郭。どんな水景に置いても周りに溶け込んでしまいそうな透明感。キラリとしつつも金属的な硬さを感じさせない、丸みを帯びた光沢。表情は無垢な美しさで、たとえば不安と逞しさが同居するマイワシのような魅力とは少し違う。
食においてもそうだ。この魚には、口の中で食べられることに抗うようなところがまるでない。わかさぎの天ぷらは骨もわたもそのままなのに、丁寧に下ごしらえされたキスのように柔らかく歯を受け入れ、舌に触れる。箸につまんで口へ運ぶ時に、これほどまでに身構える必要なく全面的に信頼できる魚も珍しい。
以前入ったお蕎麦屋さんの天ぷらのメニューに「公魚」とあり、何だろうと調べてみるとこのわかさぎのことだった。江戸時代、御公儀に献上されたことからこの字が充てられたらしい。この献上品に舌鼓を打った将軍の気持ちはよく分かるし、こんな晴れがましい充て字をわかさぎのために喜びたい気持ちもあるけれど、この瑞瑞しく透き通った小魚には少しそぐわない気もする。語源は「わかい(若い/幼い)さぎ(細魚)」ということだ。僕がお蕎麦屋さんをするなら、メニューには少し気取って「若さぎ」と書きたい。