2017年03月24日

サクラエビ Lucensosergia lucens

Lucensosergia_lucens

ふだん何気なく食べているサクラエビは深海性のエビで、およそ200メートルから500メートルもの深さに棲むという。昨今、写真や映像で深海の風景を頻繁に目にするおかげで、そこがどんな世界なのかということは視覚的にはなんとなくイメージが湧くようになった。けれども僕自身シュノーケリングで海に入るようになって、改めて深海という世界が生半可な想像力ではとても及ばない遠く離れた世界だということを思い知らされた。なにせたった3メートル逆立ちして潜っただけで水はグンと冷たくなり、耳抜きの苦手な僕は頭に不快な圧力を感じるのだ。500メートルの深海に生きる者たちは何を見、何を聞き、何を感じてどのように体を操っているのだろう。

そんなほとんど異世界と言ってもいいような場所からやってくるサクラエビが当たり前のようにスーパーで売られているのを見ると、人間が自らの活動圏として意識を及ぼす範囲の広さ・深さに感心せずにいられない。少なくとも「食」においては、500メートルの深海はごく日常の場所なのだ。また、そこへ手を伸ばす漁の有り様がいい。場所は駿河湾に限られ、天日干しの美しい眺めとも相俟って地域的な特異性を感じさせるし、漁期が定められていることから季節感と結びついてもいる。さらにその漁法には、アジを狙った漁網が深場へ沈んだ折に偶然サクラエビの群れが入ったことで「発見」されたという、据わりのいい始まりのストーリーまである。

人間の、自然に対するひたむきに探究的な意識が、そんなふうに見栄えのいい様式を伴って具象化されているという意味で、サクラエビとその漁は高度に「文化」を感じさせる存在だと思う。


 
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2017年03月17日

アマゴ Oncorhynchus masou ishikawae

Oncorhynchus_masou_ishikawae_170317

お盆休みに帰省すると、鳥取の山あいにある妻のお母さんの出処へ里帰りするのが恒例になっている。そしてその道すがら、岡山は鏡野にある郷土料理屋さんでお昼にするというのも毎年のことで、さらにそこで食べるのが山菜料理の定食に「ひらめ」の塩焼きをつけたもの、というところまでお決まりになっている。

「ひらめ」と言っても目が片側に寄ったあの海のヒラメのことではなく、その一帯ではアマゴ(あるいはヤマメ)のことを「ひらめ」と呼んでいる。山道を行くとところどころに「ひらめ釣り」の看板が出ており、最初はどうしてこんな山の中でヒラメ?と思ったのだけれど、道の駅で売られているのを見て得心がいった。

アマゴとヤマメとは亜種同士の関係で、たとえるならば普通の兄弟よりも近く、さりとて一卵性の双子ではない、二卵性の双子ぐらいの距離感がしっくりくる。岡山と鳥取の県境のあたりはちょうどアマゴとヤマメとの自然分布の境界に当たっているようで、さらに放流や釣り場からの脱走で両者はすでに混在しているだろうから、「ひらめ」の正体がそのどちらかというのは厳密には言えなさそうだ。ただ、道の駅で見たひらめにはアマゴの特徴である朱点が美しく散らばっていた。

さてその郷土料理屋さんの定食に添えられたひらめの塩焼きなのだけれど、これが滅法おいしい。僕は子どもの頃から食における川魚にあまり親しまなかったので、アユでもアマゴでもさほど好きではなかったのだけれど、ここでひらめを食べるうちに認識が改まった。お母さんはいつも、ここでお持ち帰りにひらめを焼いてもらって実家へのお土産にする。僕たちが食べている間に囲炉裏端でじっくり焼かれたひらめの入った小さなビニール袋は、セミとキリギリスと風鈴の声が涼やかに吹き通る縁側にとても相応しい。


 
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2017年03月10日

カツオ Katsuwonus pelamis

Katsuwonus_pelamis

カツオとマグロの類とは近い親戚筋で、見た感じもよく似ている。以前石垣でマグロの水揚げを見学したとき、キハダやビンナガとともに揚がった12キロのそれはそれはみごとなカツオを見た。百貨店地下の鮮魚コーナーや築地場外市場で培われた僕の「カツオ観」を覆すほどの大物で、どすんと横たわった風格は小ぶりのマグロの類たちに引けを取らなかった。

カツオもマグロも、スーパーのお刺身コーナーで手軽にサクが手に入るもの同士だけれど、その愛され方はカツオの方が偏愛的だ。カツオ好き、で僕はすぐに二人ほどの顔を思い浮かべることができる。小粋な和食屋さんの昼定食で注文したカツオのたたきを「おれ…カツオめっちゃ好きやねん、カツオめっちゃええやんか…」と呻くように呟きながら嚙みしめる会社員時代の先輩。またあるいは、カツオの回遊してゆく先々へ待ち構えるように旅行しては、旬のカツオを食べ続ける友人。これと似たような執念でマグロを愛する人を、僕は知らない。

カツオが偏愛されるのはマグロよりも独特の風味が強いことと、何より明確な旬があることによるのだろう。冷凍物ではない、生のカツオのサクが安価でスーパーに並び始めると、この季節が来たか!という気持ちになる。その点、年中なんとなく食べられているマグロは気の毒だ。数が減っているとも言われることだし、カツオのように熱烈に愛されるようもう少し「出し惜しみ」してみてもいいのではないか。


 
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2017年03月03日

“クワイカ”(アオリイカ) Sepioteuthis lessoniana

Sepioteuthis_lessoniana_170303_01

どんなときも灯りに満ちた都市の夜しか知らずにきたので、日ごとに表情が異なる島の夜に驚き続けている。厚く雲の垂れ込めた雨の晩はとろりと深い真暗闇になるし、満月が冴え冴えと顔を見せれば文庫本すら読むのに困らない。

11月の満月の頃、もっとも潮位の下がる真夜中にリーフエッジに立ったときの眺めは圧巻だった。風がなくぴたりと凪いだ海面が、空に満ちた月の光をそのまま映して仄かな薄紫を湛えている。空と島影と海とがなす、境界線の少し滲んだコンポジションは、さながらマーク・ロスコの絵のようだった。

ルアーを泳がせていると、クワイカの黒い影が2つ3つ、スルスルと足下まで追ってくる。ルアーを餌木に替えると、束ねたままの腕で様子を見るようについばんで、やおら抱きつく。ぐいと重みのかかった竿を立てるとイカはスポンと手の中へ、海には小さな墨の塊が残された。墨が危険を報せるのか、それが漂っているうちは他のイカが戻ってこない。仲間うちの意思疎通は巧みな生き物なのだ。夏に海の中で出会ったクワイカの群れが、縦に横にと見事に隊列を組み替えながら整然と泳いでいた姿を思い出した。


 
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