2017年07月28日

トゲチョウチョウウオ Chaetodon auriga

Chaetodon_auriga

ここ石垣島では海に入れば容易にチョウチョウウオの仲間に出会うことができ、その種類の多さゆえに僕は海中での識別には挑まずして降参している。それが釣りとなるとかれらと対面することは滅多にない。足下の岸壁にはひらひらと舞い泳ぐ姿が見えているのに、である。ポリプ食のチョウチョウウオ(サンゴはこのポリプが集まって体をなしている、その個々を食べる)はサンマの切り身餌に興味がないのか、それとも小さな口で器用に針をよけて餌だけ食べてしまうのか。

ところがこのトゲチョウチョウウオだけは時折針がかりしてくるのである。そもそも堤防周りの、サンゴはちらほら見られる程度といった環境によく馴染んでいるようだし、それはつまりポリプ食に偏らず色々なものを幅広く食べているということで、サンマの切り身にも躊躇なく食いついてくるのかもしれない。平べったい体は当然ながら水の抵抗を受けやすく、また「チョウチョウ」という儚げな名前には似つかわしくないしっかりと分厚い筋肉が付いているので、いわゆる「引き」はけっこうなものである。そして釣り上げてよくよく顔を眺めてみると、案外「魚魚しい(さかなさかなしい)」表情をしているのだ。普段は隈取りでなんとなくごまかされているけれど、「すっぴん」はなかなか、肉食魚めいた尖った目つきをしている。

そうして釣りでお相手いただくと、当然ながら水の中で出会ってもかれらのことはきちんと識別して「その節は」と挨拶できるようになる。チョウチョウウオの中では比較的大ぶりで、また「つがい」の2尾づれで泳ぐものが多いこの仲間にあってかれらはそういう姿を見かけた記憶がない。名前も尖っているし、「チョウチョウだからってお花畑にいると思うなよ」といったちょっと無頼な感じが好もしい魚である。


 
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2017年07月21日

テンジクダイ Jaydia lineata

Jaydia_lineata

妻の実家は皆早起きなので、僕が帰省の安心感にぐっすり眠って起きる頃には、場合によっては朝のうちにその日の夜ごはんの買い物を済ませてしまっていたりする。近所のスーパーは瀬戸内の海の幸が充実していて、早い時間だと地魚たくさんのトロ箱が並んでいるというのだけれど僕は見たことがない。

そのトロ箱の話題になったときに「イシカベリ」という名前が出た。まずもって地方名であることは分かるのだけれど、何を指しているのか分からない。あれこれ話を聞いて推測しつつ調べてみると、このテンジクダイのことなのだった。この仲間には「イシモチ」を名乗る魚が多いのだけれど、それらと同様大きな耳石を持っていることからの名付けらしい。へえ、食べたことない!と言うと、じゃあ今度出してあげようとお母さんが言った。

その帰省の次だったか、その次だったか、それとももっと後のことだったか。お母さんは忘れずにイシカベリの唐揚げを作ってくれた。生のイシカベリは小さくて頭でっかちで、いかにも身が少なく骨っぽい印象だったのだけれど、唐揚げはまるで違った。ふわりと柔らかい白身で、次から次へと箸が進む。少し印象が薄いほどあっという間に食べてしまったのだけれど、この小さな魚の頭とわたを丁寧に取り除いてゆく作業が面倒なものに違いないと気づいたのは少し後のことだった。お母さんが台所で背を丸めて下ごしらえしている、見ていないはずの後ろ姿が脳裡に残っている。


 
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2017年07月14日

ハクテンカタギ Chaetodon reticulatus

Chaetodon_reticulatus

サンゴ礁の海に入ると目の前で魚種が爆発する。特に火力の強いのがブダイ、ベラの類だ。種数が多い上に成長段階や雌雄で模様や体形が変わるので、都度図鑑をめくるわけにもいかない海中ではまるでお手上げになる。さらにかれらは動きが滑らかで素早いので写真に収めるのも一苦労、結局いつまでも「あれ、よく見かける気がするけど何だろう…」という状態が続くことになる。ハゼについても大体同じことが起こっている。

それと比べればチョウチョウウオたちはかなりマシな方で、それぞれハッキリと模様が違うし種数もある程度限られているから、少し気合いを入れて集中的に勉強すれば海中でもかなり見分けがつくようになりそうな気がする。「気がする」というのは、いまだにその努力を怠っているからだ。切り身餌の釣りで時々針がかりするトゲチョウや、卵型の体形が印象的なミスジチョウは辛うじて分かるようになった。名前のわかる魚に海中で出会ったときの心地好さや安心感というのは実にいいものだ。

そんな中、このハクテンカタギは初見でも名前が浮かぶぐらい特別で美しい見た目だった。ほとんどのものが黄色いこの仲間にあって、かれらは黒いのだ。着物の染めに因んで名付けられたユウゼンと並んで、黒いチョウチョウウオというのには際立った存在感がある。リーフエッジの深い青みの中で、チョウチョウウオの多くがそうするように「つがい」で連れだって泳いでいた。このつがいは一生、共に行動するものらしい。そこに人間的な意味づけをする必要はないと思うけど、やはりその絆の固さには心を打たれてしまう。


 
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2017年07月07日

ゴマフエダイ Lutjanus argentimaculatus

Lutjanus_argentimaculatus

元来ホームランバッターじゃないタイプの選手が「何かの拍子に」ホームランを打ってしまうと、その心地好さが忘れられず、次打席以降もしらずしらずのうちに大振りになって自らのバッティングの型を見失うことがあるという。
僕の魚釣りにおいての「大物」もそれに似ている。常々「大物には興味ないんです、小さくてもいろんな種類の魚と出会えるのが一番…」などと予防線を張りながら釣りをしているのだけれど、突如思いがけない大物が掛かることもある。格闘の末にそれを無事手にすることができたとき、あるいは散々引き回された挙句仕掛けを引きちぎられて強制終了したときはよりいっそう、放心しつつも脳みそにはしっかりと快楽が刻みつけられてしまう。その結果、一回り太い仕掛けでしばらくは同じ釣り場へ通いつめることになる。

ゴマフエダイは、石垣島へ移り住んでから釣りでは最も数多く出会った魚だと思うけれど、一番の大物ー51センチだったーを釣り上げた興奮はいまなお生々しく思い返される。夜の海を泳がせていたルアーがぐいと引ったくられた後、猛烈な勢いで沖へ糸が飛び出してドラグがジジジと鳴った。場所はさえぎるもののない砂浜だったから糸が続く限りどんどん走ってもらって構わないのだけれど、左手にひとつドスンと鎮座した大岩、あれに引っかかって切れるのだけは気をつけないといけない。そう思っていたら、糸の先のまだ見ぬ魚は一目散にその岩へ向かっていく。案の定、糸は岩に引っかかり、魚が暴れていることは伝わってくるもののそれ以上リールを巻くことができなくなってしまった。

この大物の姿を見ないまま逃してしまえばどれだけ後悔するかわからない。そう思うと矢も盾もたまらず、僕の方から岩のところへ魚を迎えに行くことにした。その場で慌ただしく靴下と靴を脱ぎ、足の裏にサンゴ混じりの砂を感じながらザブザブ岩を目指した。水深は大したことなかったけれど、夜の海はやっぱり少し緊張する。岩のところまでやってくると、赤いゴマフエダイが懐中電灯の光に照らされて、波打つ海面の向こうに見えた。大きい!手づかみしようとすると岩から糸が外れて、魚はまた浅瀬で体を斜めにして走る。結局最後には砂浜へ引きずり上げるようにしてなんとか確保。興奮と安堵が心地好く混ざり合い、手の震えがなかなか止まらなかった。僕は普段そういう写真にあまり興味がないのだけれど、この時ばかりは「魚を掲げての自撮り」をしたいと思い、撮った。ハンターが獲物を誇らしげに掲げて写真を撮る気持ちが、少しわかるように思った。


 
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