2017年08月25日

ヤシガニ Birgus latro

Birgus_latro

若返りの秘法を知る人類は別として、生き物の年齢は確かに外見に刻まれる。年老いた魚のひれや鱗はあちこちが傷つき、ゆらいで、それが一種独特の迫力と色気を醸す。

定期的に殻を脱ぎ捨てているはずのエビカニたちでもやはりそうだ。特にヤシガニやノコギリガザミといった大型甲殻類の老成個体の輪郭は、摩耗してモヤモヤと微妙な歪さを見せながらもそれが完璧に美しく、中国の書家の筆跡か、あるいは樹齢何百年の盆栽の幹の捩れをすら髣髴させる。そこには年齢が、つまりその個体の上に流れた時間というものの積み重ねが確かに刻まれている。

だからフィールドで運よくかれらに出くわしたとき、それがいかに美味いものか再三聞かされているにもかかわらず、どうしても手出しすることができない。モンスター調の見た目や強靱な爪が怖いのは当然として、それ以上にかれらの背負う「時間」に恐れをなして、だ。だからヤシガニが意外な高さで身体を持ち上げ、爪を振り上げてこちらを威嚇しながら、バネの効いた脚で素早く草叢へ後ずさりしてゆくのを、こちらは腰の引けた姿でただ写真を撮って見送ることになる。口の中にほんの少し、蟹味噌の風味を思い浮かべつつ。

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ヤシガニは各自治体ごとに条例で保護されており、自由に獲って食べることはできません。ご旅行の際にはご注意ください。



 
posted by uonofu at 18:00| Comment(6) | 魚の譜

2017年08月18日

シロブチハタ Epinephelus maculatus

Epinephelus_maculatus.jpg

家の前はアマモの類が生い繁る遠浅の浜で、ところどころに元はサンゴだったのであろうひと抱えほどの岩が点在している。そんな岩に、このシロブチハタの幼魚が居ついている。もっとサンゴの密度が高いリーフで釣りをしていると「石ミーバイ」と呼ばれるカンモンハタの方が圧倒的に多いけれど、シロブチハタはどうやらそういうところよりも砂地に海草が生えているような環境の方を好むらしい。

シュノーケリング中、岩陰にホバリングする姿を見つけると、僕は水中コンデジを構えてそっと近づく。相手はもちろん疾うに僕の存在に気づいていて、四肢ならぬ四鰭?をゆったりと波打たせながら油断なくこちらへの視線を外さない。もう少し近くで撮りたい!逃げるなよ、と念じながらジリジリ近づくのだけれど、いつも満足には程遠い距離でハタの「これ以上近寄ってきたら一目散に逃げる」のラインを侵してしまい、結局は一枚も写真を撮れぬまま岩穴に姿を見失ってしまう。

そうやって水中で、同じ目線で、生身の(に近い)一個の生き物同士としてやりとりした魚には特別な親近感が湧く。だから釣りでシロブチハタに出会うと、他の魚のときとは一味違う、親しみいっぱいの「なんだお前かあ」が心の中で漏れる。岩陰でいつものようにホバリングしている頭上をルアーが通り過ぎたんだろうな、きっといつも身を翻して岩穴へ逃げ込むあの素早さでルアーに飛びついんだろう、そしてあの大ぶりなひれをいっぱいに開いて抵抗したんだろうな。そんな姿を思い浮かべながら、幼魚らしく少しずんぐりとしたシルエットに見惚れてしまう。


 
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2017年08月11日

キビナゴ Spratelloides gracilis

Spratelloides_gracilis

6月の頭、初めて鹿児島を旅した。着いた日の夜はホテルに荷物を置いたらすぐに川の様子を見に行った。甲突川という川で、街頭に照らされた暗い水面には、ボラなのかコイなのか、時おり大きくてゆったりとした波紋が浮かぶ。土手を歩きながら何度かルアーを投げたけれど、それへの反応はなかった。気づけば河口近くまで来ていて、帰るにはまた3キロほど歩かねばならなかった。引き返そうと思うと急に胃袋に意識が向いて、ぐったりするほどの空腹を感じた。

居酒屋や小料理屋の看板がちらほらするあたりまで戻った頃には10時前になっていて、お店を選んでいる間につぎつぎ店じまいしてしまうんじゃないかと焦りが生まれた。折りよく煌々と灯りのともる焼き鳥屋に行き当たったので、ためらいなく入った。メニューにはキビナゴ料理がたくさんで、土地のものを食べられるいいお店に入ったとホッとした。焼き鳥やモツ煮と一緒に、キビナゴの刺身を頼んだ。

程なくして出てきた刺身は瑞々しく透明で、皮にはピカリと箔の輝きがあっていかにも鮮度が良く美味しそうだった。酢味噌をつけて口に入れると、他のどんな魚とも違うまさにキビナゴの、かすかな苦味と髪の毛のように細い小骨の舌触りが広がった。身は薄いのにザクザクとした歯ごたえがある。うまい。キビナゴといえば、子どもの頃に父と通った大阪湾でのタチウオ釣りの餌の印象が強かったのだけれど、この晩の刺身は僕に新たなキビナゴの記憶を刻み込んでくれた。たとえ釣れなくともこういう出会いがあるから、魚を求める旅はいつも楽しい。


 
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2017年08月04日

”クワイカ” Sepioteuthis lessoniana

Sepioteuthis_lessoniana_170804

石垣島で地元の人々がする釣りは、大きくは3つに分かれるようだ。
1.食べられる魚狙いの餌釣り
2.何でも釣れればいい子どもの餌釣り
3.エギでのイカ狙い

この中でとりわけ僕が「地元感」を感じるのは3のイカ釣りだ。夕方、仕事を終えた人々が港へ乗りつけ、イカ釣りを楽しむ。標準時子午線よりうんと西に位置する石垣島では、仕事上がりといっても十分まだひと遊びするだけの陽射しが残されている。作業着姿や、時には役所からそのままやって来たようなかりゆしウェア姿のおじさんが、夕陽に照らされてエギの竿を振るのだ。港の中では、小型のアオリイカである“クワイカ”が泳ぐのをよく見かける。調子の良いときなど、軽トラでやってきたおじさんがたちまち3、4ハイを釣り上げてあっという間に引き揚げたりするのだ。クワイカは小さいぶん旨味は弱いけれど、ビールや島酒のさぞいいつまみになることだろう。

クワイカのギョロリと大きな目は、仲間うちのコミュニケーションに役立っているらしい。水中で出会うかれらの泳ぎは実に美しく統制が取れていて、あるものが方向転換すると他の個体がそれに合わせて次々にその場で転回するさまは、よく訓練された艦隊のようだ。しかしその視野は水平方向に特化して発達したもののようで、上下への目配りは苦手なようである。腰まで海に浸かって釣りをしているときに、ルアーを追いかけて足下までやってきたイカは、ルアーをエギに付け替えた僕の動きにも気がつかず、沈めたエギにたちまち抱きついてくる。くいっという心地よい重みを味わいながら竿を立てると、水中に小さな墨の塊を残してスポンとイカが揚がる。その楽しさは魚釣りとはまた少し違った独特のもので、仕事あがりに港へと引き寄せられる人の気持ちもよく分かる。


 
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