2014年08月15日

カサゴ Sebastiscus marmoratus

Sebastiscus marmoratus_140815

20年前、父と私に初めて釣りを教えてくれたのは父の会社の村田さんだった。福井県の三方五湖へ釣り旅行しようという私たち父子のために、村田さんは休みの日にわざわざ家まで来てくれてマンションの駐車場で仕掛けの投げ方を教えてくれたり、竿やリール一式を譲ってくださったりした。三方五湖での釣りは初日がボウズ、翌日がサビキで小サバと小ボラという可もなく不可もない結果だったけれど、魚信を求めて海に釣り糸を垂れるというこの最高に面白い遊びを教えてくれた師匠の村田さんに、私はキラキラとした気持ちで心からなついていた。

だから、その後初めて村田さんと一緒に釣りにいった岸和田沖の一文字防波堤で、父が釣り上げたカサゴに「ガシラですやんか!これは美味いんですよ」と村田さんが喜色を示して以来、私にとってカサゴは特別な魚になった。その日の夜、自宅の玄関でクーラーボックスを開けて、死後硬直した赤黒いカサゴを眺めていた時の満ち足りた気持ちは今でも思い出すことができる。

実際、カサゴはパーフェクトな魚だった。私にとって釣りの目的は第一に魚を眺めて楽しむことで、第二に自宅の水槽で飼える魚を採集すること、そして最後に食べることだったのだけれど、カサゴはそれらすべてを満たしていた。私がもっとも愛用していた胴突き三本針の落とし込み仕掛けに食いついたカサゴは、口とエラとヒレを大きく広げ、尾を反らせた厳めしい姿で海から上がってくる。まずその姿に惚れ惚れしつつ針を外し、バケツに泳がせて今度は背中のJR模様(線路の地図記号のようなまだら模様)を深い満足のため息とともに眺める。その後は自宅の水槽に迎えるべく活かしたまま持ち帰るか、針を呑んでダメージを負っていたらクーラーボックスに入れるか、さもなくば海に還すか。いずれにせよ、カサゴが釣れればその時点で、その日の目的は果たされたも同然だった。

先日、和歌山の海で久しぶりにカサゴを釣って、満たされた気持ちを味わった。その原点を辿ってゆくと、20年前の村田さんの笑顔に懐かしく行き当たった。


 
posted by uonofu at 18:00| Comment(0) | 魚の譜
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