2015年01月30日

テンジクダイのなかま genus Apogon

genus Apogon
(上段左から)ネンブツダイ Apogon semilineatus / コスジイシモチ Apogon endekataenia / ミスジアカヒレイシモチ Apogon trimaculatus
(中段左から)スジイシモチ Apogon cookii / テンジクダイ Apogon lineatus / クロホシイシモチ Apogon notatus
(下段左から)ヒラテンジクダイ Apogon compressus / クロイシモチ Apogonichthyoides niger / オオスジイシモチ Apogon doederleini


「分類して、名前を付ける」ことを通じて人間はせかいを把握している。

よく持ち出される例は虹の色。現代の日本では基本7色ということになっているけど、そこは国や地域や時代によってさまざまで、2色と見る文化も多いらしい。また、馬が生活の中で重要な役割を担う(担っていた)モンゴルの遊牧民の言葉には、毛色や斑紋によって馬を言い分ける言葉が数多くあるそうだ。
7つに分けられて、そのそれぞれに名前が付いているから、私たちは虹という連続的な色の連なりを7色であると認識できる。逆に日本の言葉には馬をそこまで細かく分ける言葉がないから、遊牧民には別のものとして認識されている馬も区別せずに見るに違いない。

分類と名付け、それは人間の何千年という営みの中で形作られてきた「文化」なるものの一つの表れだ。
そこからは先人の「このせかいを理解したい」という根源的な欲求が匂い立っている。だから海で魚を釣り上げて「これ、何という魚だろう」と何気なく調べてみるとき、すべての魚が「分類と名付け」の体系の下に組み入れられているという事実にふと気付いて、分類学の執念に心が震えるような感動を覚える。しかもその執念の火は絶えることなく燃え続けており、常に魚たちは分けられたりくっつけられたり新たに名付けられたりしているのだ。

テンジクダイのなかまは、「分類と名付け」の面白さを特に感じさせてくれる面々だ。同じような体型に、似たようなのやら全然違うのやら色んな模様がのっかったのが、それぞれ別種としてきちんと分けられ名付けられている。こうやって並べてみるとき、自然の多様性に対する畏敬に劣らず心を打つのが、これらの魚たちを分類し名付けてきた人間の営みへの驚嘆だ。
絵の下段、中央のクロイシモチは、最近になってApogon属からApogonichthyoides属に分けられたらしい。こうして人間は常に、より「正しく」せかいを把握することに執念を燃やしている。


 
posted by uonofu at 18:00| Comment(0) | 魚の譜
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