2015年08月21日

メナダ、ボラ Chelon haematocheilus, Mugil cephalus

Chelon_haematocheilus.jpg
(上) メナダ Chelon haematocheilus
(下) ボラ Mugil cephalus


メナダ、ボラ。水族館でかれらの泳ぎ姿を見ると、その美しさに惚れ惚れする。水の抵抗が少なそうな紡錘形の体に、ピンと張った6カ所のひれ。特に、えらの後ろから斜め上方向へ(つまり、水面の方へ)水を切るように張り出した胸びれと、たった4本の棘条に力を行きわたらせてヨットの帆のように高々と掲げた前の背びれは、水面直下をスイスイ泳ぎ回り頻繁に水面上へ跳ね上がるかれらの身のこなしに対する、心地好い説得力がある。
大水槽でボラたちが小さな群れをなして岩組みに付く藻類を食む姿を見ると、いつも「戦闘機みたいだ」と思う。美しさと兵器とを結びつけることに抵抗はあるけれど、機能を極限まで追求した結果の美しさということなんだろう。それが人間によってなされたか、自然の淘汰によってなされたかという違いがあるだけで。

かれらの魅力を語るにおいてもう一点外せないのは、その「可愛らしさ」だ。つぶらな目と平たくのっぺりした口は、とてもおっとり呑気そうに見える。体が大きくて頑丈な鱗にびっしり覆われているから敵は少ないだろうし、雑食性でいろんなものを食べるから血眼になって獲物を追いかけなければならないということもない(おそらく)。鷹揚に育つ理由は揃っている。
大きな川の河口や港では、メナダやボラが飛び跳ねる姿をよく見かける。水面から飛び上がって、丸太のようにまっすぐ体を伸ばしたまま、おなかからバッシャーンとドンクサく着水する様子は、それを楽しんでいるようにも見えて微笑ましい。遊ぶだけの知性があるのではないかとも思ってしまう。

そんな魅力的な魚だけれど、防波堤の釣り人には不当な扱いを受けている。身近な大物であるにもかかわらず、メナダやボラが喜ばれることはほとんどない。それはひとえに「不味い、臭い」というイメージによるものだ。確かに都市部の汚れた海の藻類をまるで掃除するかのように食べ続けたボラはあまりおいしくなさそうだし、こんなに似ているのにメナダの旬は夏でボラは冬、というのもややこしくて、いま目の前にいるこの魚がおいしいのかおいしくないのか、わからなくなってしまう。
ボラを不味い、臭いと言っている釣り人のうちどれくらいが、それを実際身をもって知っているのだろうか。海や季節や釣った後の扱いや、さらには個体によっても味は違うはず。僕は今度メナダかボラを釣ったらぜひ試しに食べてみたいと思っている。


posted by uonofu at 18:00| Comment(0) | 魚の譜
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