2015年12月18日

ムラソイ Sebastes pachycephalus

Sebastes pachycephalus 151218
「泳ぐムラソイとその背景」に見えるけど、下の絵は背景ではなくて、ムラソイがいるであろうゴロタ場を、波打ち際から覗き込んだ光景…のつもり。

ムラソイに導かれるようにして、海の魅力に取り憑かれていった一年だった。

年初、真鶴で小さな根魚たちと出会い、その楽しさに相模湾西部へ足繁く通ううちに、子どもの頃からのムラソイへの憧れに火が点いた。決して珍しい魚ではなく、ネットを見ていればファミリーフィッシングでもカサゴに交じって(時には区別されずに)釣られているのだけれど、なぜかとんと姿を見なかった。

ようやくムラソイに出会えたのはゴールデンウィークに思い切って足を伸ばした伊豆稲取の海で、そこでようやく彼らの好む生息環境というものが分かった。堤防よりは圧倒的にゴロタ場。水深のあるところよりは、潮が引けば50センチにも満たないような浅いところ。流れの激しさは厭わず、打ち寄せる波が岩の合間へ滑りこんで激しく泡立つような場所からスポンと大きな魚体が揚がったこともある。ムラソイは基本的に「磯」の魚であって、どちらかというと落ち着いた海を好むカサゴと同じ場所で釣れることの方が珍しいのだと思うようになった。

ムラソイのいる場所をピンポイントで、それなりに高い確率で見抜けるようになって、僕はどんどん「水際」へ近づいて、時には足を海に浸けながら釣りをするようになった。そうして、磯に溢れるさまざまな形の無数の命の存在や、それらが潮の満ち干に合わせて駆け回ったりうずくまったりするさまに夢中になった。けれどもそれ以上に僕を惹きつけたのは、海の持つ莫大なエネルギーだった。潮が満ちてくるときのひと波ひと波のうねりは、全力疾走するチーターの胸の動きのようにダイナミックで、そして人間にはまったく読みえない意思を持っているように見えた。「何を考えているのか分からない」という恐怖心が、磯にいる間じゅう常にあった。ライフジャケットを必ず身に着けるようになったし、磯を移動する足の運びの、多少大袈裟に言えば一歩ずつに、自分の身体の重心のありかと力の入れ方を口に出して確認するようになった。

恐怖心を持つ、ということは、自分と対象とを隔てる壁が少しずつ取り払われているということだ(動物園のライオンの檻の、柵の隙間が少しずつ広くなるようなもの)。だから、恐怖を感じると同時に、自分が海とどのように関わるのかをより深く考えるようになる。それが今は単に「磯でどのように過ごすか」という関わりについてだけれど、これを出発点として、自分という人間がどう関わるかということにまで考えを広げていきたい。ムラソイに導かれて、その入り口に辿り着いた一年だったと思っている。


 
posted by uonofu at 18:00| Comment(2) | 魚の譜
この記事へのコメント
こんにちわ。お久しぶりです。
今釣りビジョンつけたら長嶋さ出ていて驚きました!
さらなるご活躍期待しております。頑張って下さい。
Posted by aloha富田 at 2015年12月21日 13:17
偶然!嬉しいです、ありがとうございます!!
Posted by 長嶋祐成 at 2016年01月21日 04:15
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: