2016年02月05日

オヤニラミ Coreoperca kawamebari

Coreoperca_kawamebari_160205

20年前、僕にとってオヤニラミは「憧れの日淡(=日本産淡水魚)」で、ホームセンターでついに手に入れたときの嬉しさはよく憶えている。体長5センチほどの幼魚で、でもベージュのラインで強調された鼻筋の急角度に大きな受け口、洋ナシ形に尖った瞳は、そのサイズに似つかわしくないふてぶてしい肉食魚の相貌をなして、惚れ惚れするようなかっこよさだった。

この独特の雰囲気に魅了される人は多かったに違いない。その後オヤニラミはショップで普通に見かけるほど流通するようになって、それに伴い逃亡や放流が随分あったのだろう、少しずつ「国内外来種」の文脈で語られるようになった。ブラックバスやブルーギルのように、「海外から来ました」と分かりやすく顔に書いてある面々だけが外来種なのではない。国内にあっても本来の生息地ではないところに人の手で移されて定着したものは、生態系を撹乱しうる外来種なのだ、という認識が浸透しつつある。オヤニラミやハスはその代表格として取り上げられているのをよく目にする。

この「国内外来種」という考え方は、外来種の問題に対する社会の認知が成長していることの証に見える。外来種というと、以前は「海外からやってきた強い外来種に、日本の繊細な在来種が駆逐されてしまうのは困る」という情動で捉えられることが多かった。けれども、この問題の根本はそんな「攘夷」的な気分の中にあるのではなく、外来種の移入によって生き物の勢力図の色数が減る=多様性が損なわれることで、生態系に不利益がもたらされることにある。その点を鑑みれば、外来種が国外のものか国内のものかという別は、(一般に国外外来種の方が影響力が大きいだろうとは言え)その違いは程度のものであって本質的なものではない。生態系と、そこに拠って立つ人間に不利益がもたらされるという意味では違いがない。

また、そこから考えれば「魚が悪者」なのでは当然なく、また「観賞魚飼育やバスフィッシングが悪い」わけではないことも当たり前に導かれる。問題はあくまで生態系の撹乱であり、「悪者」が誰かといえばそこに直結する放流や逃亡なのだ。生態系を撹乱せずに観賞魚飼育やバスフィッシングを楽しむ方法はいくらでもあるに違いない。(と言っても、今の状況ではある程度それらが締め付けられるのは仕方ないとも思うけれど。)

ものが見えている専門家や有志は、おそらく早くからそのことを社会に投げかけてきた。それが少しずつ僕のような市井人にも浸透しつつあるのを目の当たりにして、社会的な認知の形成というのは大したものだと思う。人間は賢い、と思う。


posted by uonofu at 18:00| Comment(0) | 魚の譜
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