2013年01月18日

コイ Cyprinus carpio

Cyprinus carpio


学生時代、京都の四条大橋から川面を見下ろすと、墨色の大きなコイが泳いでいるのをよく目にした。コイはとても身近な魚だ。鴨川みたいな(都市部を流れる川にしては)綺麗な川でない、ドロンと淀んだコンクリート護岸の小さな川でもコイなら見つけられそうな気がして、欄干から下を覗いてみることがある。

昔から重要な食用魚とされてきたらしい。今ではコイを食べるのはそれほど一般的でないと思うけど(特に都市部では)、まさにコイを見下ろしていた四条大橋のたもとのうなぎ屋さんで初めて食べた洗いは、きめの細かいねっとりとした白身に酢味噌がよく合って、歯と舌がいまだにその快感を思い出せるほどにおいしかった。

同時に、コイは止水域の大型魚に特有の、どことなく不気味な生々しさを漂わせている。少し人間的な、妙に「生」というものにかかわってくるような生臭さがある。怪談的でもある。コイをモチーフにした日本の古い絵はたくさんあるけれど、小川芋銭の「登龍門」や歌川国芳の「鬼若丸の鯉退治」「坂田怪童丸」のように、妖怪・怪物的な文脈に鯉を置いた(ように見える、学術的にはどうなのか知らない)絵には腑に落ちるものがある。同じような環境に生きる日本の大型魚には他にナマズがあって、妖怪的である点においては見るからにナマズの方が大物なはずなのに、なぜかコイの方がより生臭い気味悪さを醸している。

なぜだろうと少し考えて、これはコイの「身近さ」によるんじゃないかと思った。昔ばなしの妖怪譚における猫と狼の対比に似ている。狼は確かに怖い。夜の山越えを強いられた旅人はたいてい狼に恐ろしい目に遭わされる。けれども狼はもとより山の住人で、「大神」の当て字の通り異界のものとして認識されている。それに比べて猫はこんなにも身近なのに、長生きするとある日化け猫になってしまう。日中、膝の上で寝ていた飼い猫が、主人の知らない夜中には半人半獣の姿で行灯の油を舐めているとなれば、怪異と背中合わせの日常という底冷えのする不気味さは狼の比ではない。

コイは長命で、70年以上生きる個体もあるとのこと。平均寿命の短い頃なら、人より長く生きる個体も多かったはず。身近な池のコイが、例えば自分の祖父母が生まれる前からそこにいたのだと知れば、怪談的な意味付けをしたくなるのも分かるような気がする。


 
posted by uonofu at 18:00| Comment(0) | 魚の譜
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