2013年08月02日

メバル属の幼魚 juveniles of the genus Sebastes

juveniles of the genus Sebastes

子どものころ、工作キットの懐中電灯のスイッチのパーツをなぜかとても気に入って、それだけを肌身離さず持ち歩いていたことがあった。それは透明で薄青色のプラスチックで、スライド式のスイッチとして指の引っかかりが良いように、横から見ると「凹」の字を左右に引き伸ばしたような形で表面に幾筋か溝が切ってあった。その軽くて薄っぺらな手触りや、それをミニカーのように窓枠とか湯槽の縁を進ませて遊んでいたことははっきりと記憶に残っている。幼少期のそういう「もの」にありがちな運命として、それはいつの間にかどこかへいってしまったけれど、何とも説明しようのない「好き」の気持ち、それを見たり手に触ったりしているときの深呼吸するような落ち着いた充足感は、決して今と切り離された過去のものではない。

同じころ、家の近くの駐車場に敷き詰められた砂利の中に、一目見て人工的に作られたと分かる1センチ足らずの三角おむすび型の石粒が混じっているのを見つけて、拾い集めていた。表面はすりガラスのようにさらさらとした手触りで、色は濃灰色。三角形の角の絶妙な丸みや、厚すぎず薄すぎず「これぞ!」と言うべきおむすびの厚みも含めて、すべてが人間の感じる「心地好さ」を的確に狙ったような造形だった。もちろん、当時はそんなことを考えるまでもなく、ただ「好き」と思って集めていた。これも残念なことに、今では一粒たりとも手元に残っていないし、そもそもどのような目的で作られていたものなのかも分からない。けれども、あのおむすび石からダイレクトに感じる心地好さは、忘れていない。

メバルやカサゴの仲間たち、とりわけ水槽で身近に飼えそうなサイズの子どもたちの姿を眺めていて思い出すのは、それらスイッチやおむすび石がもたらす快楽と、説明しようのない「好き」の気持ちだ。自然の造形は美しい、うっとりといつまでも眺めていられる魚はいくらでもいる。けれども、その中でもなぜかメバルの類、この仲間たちの姿からは、何か「あるべきものがあるべきところに収まった」というような種類の心地好さを感じる。これぞ完璧なる調和である、その中にずっと身を置いていたい、そういう欲求が、視線を彼らに釘付けにしてなかなか離そうとしない。


 
posted by uonofu at 18:00| Comment(0) | 魚の譜
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