
(左上)和金 (右上)コメット (左下)朱文金 (右下)ブリストル朱文金
以前住んでいたマンションのすぐ近くに「氷川神社」という社があった。平日の午後はずっと近所を駆け回る子どもたちの声が響いているというようなエリアだったから、そこでのお祭りは規模こそ小さいけれど嬉しそうな子どもたちの顔で賑わって、郷愁に胸が締めつけられるような実にいい風景なのだった。
日が暮れた濃紺の空の下で数年ぶりに金魚すくいをしたのが、そのお祭りの最後の思い出だ。桶を覗き込むと、しっぽの先まで入れても3cm程度の可憐な金魚たちがひらひらと泳いでいて、朱い白熱灯の下でそれはもう夢のような光景だった。赤一色にフナ尾(上下ふたまたに分かれている、最も普通の尾びれの形)のもの、紅白の更紗に桜茶の花びらのような繊細な三つ尾(上から見ると三つまたに分かれている)のもの、絹の薄衣を羽織ったような淡い肌色に優美な吹き流し尾(上下ふたまたで先が長く伸びている)のもの。
連れて帰ってしまえばこれから長い付き合いになるという重みは理解しつつ、あまりの美しさに目が眩んで「よし、金魚を飼おう!」と思い切り、300円払ってポイを受け取った。どの色が、どの柄が、どの形がいいだろうと目移りしながら8尾をすくって持ち帰った。
金魚すくいの金魚、特に小さなものをきちんと生かすのは意外に難しい。それでも、長く魚を飼ってきた自分なら大丈夫だという妙な自信があった。初心者じゃないんだから、いくら小さいとは言えこうやって普通に泳いでいる金魚を死なすことなどあるものかと。けれども、その自信には何の根拠もなかったのだということはすぐに思い知らされた。か細い金魚たちは時間が経つにつれて尾を振るのも大儀そうに弱ってゆき、慌ててあれこれ手を尽くしたけれど数日のうちに結局みな死なせてしまった。
これは本当に苦い思い出なのだけれど、あの祭りの風景、テントの灯りに照らされて桶を泳ぎ回る色とりどりの金魚、楽しそうな親子連れがひしめく参道のさんざめき、三々五々引き揚げる人々のゆったりとした足音、シンと静かなリビングで金魚を覗き込む不安な気持ち、そういったものの全てが夢か幻のようで、あまりにも美しく脳裡に焼き付いている。
郡山の金魚養殖のほとんどは金魚すくい用の和金らしいですが、資料館を運営されている養殖場
ではコンクリートの仕切りの池に様ような金魚達が暖かい春の日差しの中お尻フリフリ泳いでました。
今のところうちではベタとメダカを飼っていますが、いろんな形、色の金魚を眺めてますと金魚を飼ってみたくなりました。なんせ歴史がありますからね。ちょっと欲しくなったのは福ダルマという種類でした。しかしもう部屋に水槽おけるスペースがないのですわ。さてどうするか?!
私も金魚飼いたいなといつも思うのですが、長い付き合いになるし場所の問題もあってなかなか難しいですねえ〜