2014年04月11日

アマゴ Oncorhynchus masou ishikawae

Oncorhynchus masou ishikawae

「アマゴ」の名を目にすると、見栄っ張りで自分をもの知りに見せようとばかりしていた小学生の頃のことを思い出す。

5年生の林間学校のプログラムに「魚のつかみどり」があった。そのことは事前に配られるしおりで知っていたのだけれど、そこからさらにその魚がアマゴである、ということまでどうしてだったか私は予め知っていた。情報源は母だったような気がする。クラスの懇談会ででも聞いてきたのかもしれない。毎週のように父と海釣りに行っていたけれど、渓流の魚には馴染みがなかったから楽しみだった。

つかみどりは、小学校の校庭の足洗い場みたいなコンクリートの囲いの中に浅く水が張ってあって、そこを窮屈に泳ぐ魚を追いかけるというものだった。囲いは狭いし水は足首の少し上ぐらいまでしかないし、子どもたちがザブザブ歩き回ってぬるく濁った水の中では当然魚も弱っているしで、物足りないほど呆気なく捕まえることができた。

私は手の中に魚を抑え込んで、すぐそばに立っていた係りのおばさんに「これ、アマゴ?」と訊いた。まあ分かってるけどね、という雰囲気を醸すためにわざと馴れ馴れしい言葉遣いにするという、今思い出しても恥ずかしくなる訊き方だった。てっきり「よく知ってるねぇ!」的な反応が返ってくると期待していたのだけれど、おばさんはにっこり頷いただけだった。それに満足できなかった私は、少し小さな声になってさらに重ねて「アマゴ?」と訊いたけれど、おばさんは同じ笑顔でまた、ただ頷いた。自分の浅はかな見栄が見破られたようで恥ずかしい思いと、もし見破られていないのならこの小芝居を完結させなければという思いが心の中でもつれて、私はうんうん、という感じで軽く頷いておばさんの元を離れた。

(林間で憶えているのはこの出来事と、その後の飯ごう炊さんのカレーを食べ過ぎたことだ。あまりにもおなかがいっぱいで「これはどうなってしまうんだろう」と本気で不安になりながら、キャンプ地のはずれのフェンス際で中腰のまま静止していた。)

せっかくそうしてアマゴと出会っておきながら見栄を張ることしか考えていなかったせいで、この類の魚にはその後も長らく馴染みがないままだった。同じくポピュラーな渓流魚であるヤマメとの見分け方も、今回絵を描こうと調べてみて初めて知った。体側に華やかな赤い斑点のあるのがアマゴ、ないのがヤマメらしい。言われてみれば、記憶の中で手のひらに載っているアマゴには紅色が散っていたような気がする。

今さらながら、かれらの魅力に少しずつ触れつつある。


 
posted by uonofu at 18:00| Comment(0) | 魚の譜
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