2017年05月12日

グルクマ Rastrelliger kanagurta

Rastrelliger_kanagurta

魚は何が好きですか?と問われれば、以前は迷いなくサバです、と答えていた。張り詰めた体のラインに色気があり、色も紋様も文句なしに美しく、表情に愛嬌があり、釣って楽しく捌いて心地好く食べておいしい。サバを愛する理由はそんな風に揃っているわけだけれど、石垣島へ移り住んでからはすっかり縁遠くなった。分布してはいるようなのだけれど、釣り物としてはまるで見かけない。おかげで好きな魚を聞かれたときに、まずウーンと悩むようになってしまった。

サバは見かけないけれど、代わって沖縄のサバと言うべき魚がこのグルクマだ。基本的なつくりはよく似ているのだけれど、より頭でっかちでパワフルな体つき。紋様も繊細な虫喰い紋ではなく、明るめのエメラルドグリーンを地にした思い切りのいいストライプが南国の海によく似合っている。大好きなサバに近縁な別バージョンということで、魚の絵を継続的に描き始めた頃からまだ見ぬこの魚に憧れを募らせ、よく描いていた。

そんな憧れの魚が泳ぐ海のそばに今、住んでいる。グルクマといえば釣り人だけでなくダイバーの方々にもよく知られた魚で、それは口を大きく開いたまま群れで泳いで食事をする風景がフォトジェニックだからだ。僕もその様子を港の岸壁から何度か目の当たりにして、心の芯が震えるような感覚を味わった。さて次は何とか釣り上げてこの手に躍動を感じてみたい。そうしてサバと同じところ違うところを実感すれば、また「魚は何が好きですか?」の質問に対してサバですと即答し、石垣には近い仲間のグルクマという魚がいて…と気持ち良く言葉が連なって出てくるに違いない。


 
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2017年05月05日

テンジクタチ Trichiurus sp.2

Trichiurus_sp2

少なくとも二十余年前の大阪湾では夏の終わりから冬にかけて堤防からタチウオを狙う夜釣りが盛んで、暮れなずむ頃になると港のそこここに電気ウキの灯りがともるのだった。赤い光がトプンと黒い波をかぶるたびに魚信かと腰を浮かしかける、それに飽きた頃にようやく本物のタチウオがゆらゆらとウキを沈める。少し離れた父親に「来た」と声をかけて、水中に滲むウキの光を固唾を飲んで見つめながら針掛かりを待つ。長い時には一分以上にも及ぶその時間の緊張と昂揚こそが、この釣りの醍醐味なのだった。

大人になって東京に暮らして、堤防のタチウオ釣りはすっかり縁遠くなった。東京湾のタチウオは船から狙うものなのだ。ところが昨年から移り住んだ石垣島では、やっぱり冬に堤防からタチウオが釣れるという。ルアーで狙うことをすすめてもらったけれど、あの電気ウキの昂奮が忘れられず、二十年前と同じ仕掛けを夜の港に浮かべた。赤い光が波をかぶるたびに腰を浮かしかけるところまでは同じだったけれど、結局本物のタチウオがウキを沈めることはなかった。

その後、タチウオとの再会は思いがけない形で実現した。いくら日の出の遅い石垣島とはいえ、朝マヅメと言うには陽の昇りすぎた午前八時の港で、ルアーに食いついたのが若いテンジクタチだった。革のベルトのような滑らかに硬質なしなり、鏡面仕上げされたステンレスのようでありながら見る間に傷付いてきらめきを失う体表の箔、釣り上げられた無念さを微塵も感じさせない無表情。出会い方こそ違えど、その姿は僕の気持ちを二十年前の大阪湾の夜へと一気に引き戻した。


 
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2017年04月28日

エラブウミヘビ Laticauda semifasciata

Laticauda_semifasciata

石垣の海にはウミヘビが多い。サンゴ礁にも、海草の原っぱにも、港の中にもいる。一度釣りをしていて足下の岩がゴソゴソいうので、隙間を覗くとヒョッと顔を出したこともある。シュノーケリングをして出会わないことの方が珍しく、今では文字通り蛇行して滑らかに進むかれらに付き従って泳ぐことにも慣れたけれど、初めのうちはこのシマシマを見るたびにぐっと緊張した。なにせかれらはあのハブよりはるかに強い毒を持っていて、万一噛まれるようなことがあれば一大事なのだ。

けれどもその強毒と、「コブラ科に分類されるヘビである」という事実から受けるイメージに反して、このエラブウミヘビはとてもおとなしい。こちらが近くにいても気にする風もなく海草の根元や岩の隙間を次々と覗いて何か食べ物を探しているし、海底のサンゴの陰で自分のしっぽにあごをのせるようにしてのんびり休むかわいい姿を見たこともある。ときおりまっすぐにこちら目がけて泳いでくることがあって狼狽えるのだけれど、かれらは視力があまり良くなく、こちらの姿が見えていないらしい。ゆっくりとフィンをあおると、鎌首をもたげるように立ち止まって(それがイメージ通りのヘビの姿で、ちょっと可笑しい)脇へそれてゆく。視力が良くないかわりに水の流れを敏感に受け取る器官が発達しているそうだ。

このエラブウミヘビで何といっても格好いいのは尾部の形状で、魚で言えば尻びれのあたりが平たく張り出していかにも泳ぎに適した形状になっている。僕はウミヘビが息継ぎをする姿が大好きだ。海底からやにわにまっすぐ水面へ向かったと思うと、海面から一瞬顔を出してひらりと身を翻す。その瞬間の、尾部が水を叩く動作の美しさは言葉に尽くしがたいもので、また悠々と海底へ潜ってゆくかれらの後ろ姿をただ惚れ惚れと見送ってしまう。


 
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2017年04月21日

ユメウメイロ Caesio cuning

Caesio_cuning

ユメウメイロとはなんと色気に満ちた名前であろうか。夢梅色、と漢字にしてみてもやはり目眩くような美しさがあるし、ゆめうめいろ、と口に出して言ってみてもそのゆらりゆらりとした雰囲気にえも言われぬ妖しさがある。

「梅色」という名付けの由来にはいくつかの説があるそうだけれど、ここは素直に「背中の黄色が熟した梅の実のようだから」というのに納得しようと思う。青みに黄色を背負うというこの配色パターンには本家というべきウメイロという魚がいて、また分類上はそれと異なるけれどよく似た魚にウメイロモドキというのもいる。そんな「梅色的」な配色の魚たちを呼び分けてゆく中で、どうしてこの魚には「夢」なんて抽象的なことばがくっついたのだろう。そういえばカサゴの仲間にもユメカサゴというのがいるぞ、と思って検索してみると、どこかの地方で昔から呼ばれてきた名前というわけではなく、明治生まれの魚類学者の田中茂穂さんの創作ではないかと出てきた。学者という距離感だからこその抽象的な名付けだとも、昔の学者さんらしく文理の別ない知性的な名付けだとも思ってしみじみ感心してしまった。

ユメウメイロについては誰がどういう思いで名付けたのかわからない。けれど確かに、この魚の実物の美しさというのは「夢」などという抽象的な表現に逃げるのもよしと思えるほどのものだ。幼魚は透明感のあるエメラルドグリーンに鮮やかな黄色。成魚は少し厚みのあるターコイズブルーに、頭まわりの群青〜薄紫色の合わせが心憎い。南の海の強い光の下でその部分に目を凝らしていると、黄昏時の薄暗がりの中で紫色の花が目にやたらと眩しいのと同じようなクラクラした感覚になる。もしもそれをとらえて「夢」と表現したのなら、それはそれは見事な言語センスだと思う。


 
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2017年04月14日

クルマエビ Marsupenaeus japonicus

Marsupenaeus_japonicus

〇〇が好き、と公言するのはなかなかによいもので、僕の場合はありがたいことに周りの方々が僕の魚好きをよくご存じくださっている。だから界隈では「あいつに魚見せれば喜ぶだろう」という認識をお持ちくださっていて、僕はその恩恵をいつもたっぷりと享受している。

義弟のシン君の場合はエビだ。眺めたり描いたりしようというのではない。彼は食におけるエビを深く、まっすぐに愛している。妻の実家に帰省するとそこでは誰もが「エビはシン君」だと思っている。お母さんのご馳走の中には必ずエビがラインナップされるし、エビフライであれエビチリであれエビ料理の大皿はシン君の席の前にどすんと据えられるのだ。そして食事も後半になってふと気づくと大皿のエビは残りわずかになって、素知らぬ顔のシン君の銘々皿にはエビの尻尾や殻が積み上がっている。

服飾の世界では縫製が丁寧で上手な人のことを「手が綺麗」と言う。それに倣えば妻のお母さんは料理において手が綺麗な人だ。魚介類は下処理の面倒なものも多いけれど、いつも完璧に心地よい歯ごたえ、舌触りに調理される。シン君がやってくる日の夕方、お母さんは台所でエビの殻を剥く。パチ、パキ、パカリ、と小気味好い音が、少し背を丸めた後ろ姿ごしに小さく聞こえてくる。傾いた陽の光が徐々に濃い影を落とす静かな部屋の中で、その淀みない一定のリズムを耳にしていると、お母さんが料理に対して注いできた長年の心づくしに少しだけ思いが至るような気がする。


 
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