2017年02月17日

マダイ Pagrus major

Pagrus_major_170217

先の年末、岡山の妻の実家でのんびりと午後を過ごしていると、車で30分ほどのところに住む伯母さんが鯛を持って訪ねてきた。顔つきに凄みが漂い始めているほどの、立派に大きく育った鯛だった。

夕方、筆洗の水を汲もうかと台所を覗くと、お母さんがまな板の上の鯛を前にどこから刃を入れようかと思案している。この大きさだ、背骨はさぞ硬いに違いない。お母さん、僕切りましょうかと声をかけると、いい?ごめんね、と言いながらまな板の前を譲ってくれた。差し出された少し小ぶりの出刃包丁の柄を握ると、使い込まれてしっとりと穏やかな木の質感が、右手の平にひたり、と収まった。

あかがね色の皮に刃を下ろすと、かすかに吸いつくような感触とともに滑らかに吸い込まれて、すぐに背骨がそれを受け止める。そのままぐいと力を入れるけれど、骨は少したわんだだけでびくともしない。大丈夫?ーはい、やっぱり硬いですねと話をしながら、握りこぶしで峰を叩くとドスンと切れた。心地よい切れ味だった。お母さんの手によく馴染んでいるであろう愛用の包丁だけれど、僕の手を拒むようなところは少しも感じなかった。料理に対する心尽しが、形になって手の先に現れているような包丁だと思った。そうして背骨つきの半身をいくつかに切り分けて、初めて料理を手伝った子どものように晴れがましい気持ちでお母さんに包丁を返した。

鯛は煮付けになった。例によって食卓はご馳走いっぱいのオールスターで、普段は四番を張って当然の鯛ですら、隅で多少控えめにしている。これおれが切ったやつだ!とまた子どものように誇らしく思いながら、カマの部分を銘々皿に取り上げた。煮汁に浮いた脂をうっすらと纏った身はぷっくりと膨れつつふわりとして、これぞ鯛という味が確かに舌の上に広がった。


 
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2017年02月03日

ホタルイカ Watasenia scintillans

Watasenia_scintillans

母と姉は茹でたホタルイカが好きで、子どもの頃よく食卓に上っていた。僕はそこに添えられた「辛子酢味噌」が食わず嫌いで(頭の中で辛子と酢と味噌を混ぜてみたときに、それがおいしいという想像がどうしてもつかなかった)長らく手をつけずにいたのだけれど、高校生の終わり頃に何かのきっかけでホタルイカのおいしさを知ったらしい。大学生になって一人暮らしをして、毎食自分の食べるものを自分で決めるということを初めて経験した僕は、よくバイト終わりにボイルのホタルイカを買って帰っていた。遅い時間のスーパーに売れ残っているホタルイカには鮮度に当たりハズレがあって、何度か立て続けにハズレを引いて失望するまでそのホタルイカ熱は続いた。だからいまだにホタルイカといえば、京都は今出川通りの小さなスーパーの、夜9時を回って空きが目立ち始めた生鮮の陳列を、仕事帰りの人たちが少し疲れた雰囲気で眺めている様がありありとまぶたに浮かぶ。

そんなわけで僕の知っているホタルイカはもっぱらボイルされた臙脂色のもので、生の実物にようやく出会ったのは6年前、妻の両親が東京へやって来たときに連れていってもらったお寿司やさんでのことだった。目の前に並んだのは透明感のあるただ小さな普通のイカで、箸でつまみ上げると青く光る液体が滴り落ちる…わけはなく、電池を思わせるケミカルな味がする…わけもまたなく、小さな七輪でさっと炙るとボイルのものよりあっさりとして品のいい味がした。

会社員時代の同僚で富山の海のそばを出処とする友人は、産卵期のホタルイカが接岸して浜に打ち上げられるのをよく獲りに行ったということだ。「ホタルイカといえば基本ボイル」の僕が描いたこの絵の出来は、彼女に一度判定してもらわなければならない。


 
posted by uonofu at 18:00| Comment(2) | 魚の譜

2017年01月27日

ワカサギ Hypomesus nipponensis

Hypomesus_nipponensis

わかさぎ、とはなんと瑞瑞しく美しい名前だろう。

「名は体をあらわす」という思考を僕は好きだけれど、この名付けはまさにこの魚の有り様をたった四つの音で言い表している。引っかかるもののまるでない、すらりとした輪郭。どんな水景に置いても周りに溶け込んでしまいそうな透明感。キラリとしつつも金属的な硬さを感じさせない、丸みを帯びた光沢。表情は無垢な美しさで、たとえば不安と逞しさが同居するマイワシのような魅力とは少し違う。

食においてもそうだ。この魚には、口の中で食べられることに抗うようなところがまるでない。わかさぎの天ぷらは骨もわたもそのままなのに、丁寧に下ごしらえされたキスのように柔らかく歯を受け入れ、舌に触れる。箸につまんで口へ運ぶ時に、これほどまでに身構える必要なく全面的に信頼できる魚も珍しい。

以前入ったお蕎麦屋さんの天ぷらのメニューに「公魚」とあり、何だろうと調べてみるとこのわかさぎのことだった。江戸時代、御公儀に献上されたことからこの字が充てられたらしい。この献上品に舌鼓を打った将軍の気持ちはよく分かるし、こんな晴れがましい充て字をわかさぎのために喜びたい気持ちもあるけれど、この瑞瑞しく透き通った小魚には少しそぐわない気もする。語源は「わかい(若い/幼い)さぎ(細魚)」ということだ。僕がお蕎麦屋さんをするなら、メニューには少し気取って「若さぎ」と書きたい。


 
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2017年01月20日

ヒラ Ilisha elongata

Ilisha_elongata

妻のお母さんは鳥取の山あいの出身で、岡山は倉敷に嫁いでからは瀬戸内の豊かな海の幸をずっと料理してきた人だ。だから帰省するといつも食卓いっぱいのご馳走の中に地物の魚や海老がたくさんで、僕はいつもそれら瀬戸内の魚たちとの出会いと味を目一杯楽しませてもらうのだった。

この年末年始の帰省では初めてヒラの煮付けを食べた。岡山といえばママカリ(サッパ)の国だけれど、ヒラは小魚であるママカリによく似ていながら大きさは50センチを優に超えるという、相貌と大きさの不一致にうんと魅力のある魚だ。姿を見たことがないままなぜか気になっていた魚で、師走に訪れた上海で青魚たちの絵をのびのびと描いたときにも登場させたばかりのことだったから、帰省の日の晩の食卓に並んだそれは僕にとって嬉しいビッグ・サプライズだった。

小骨の多い魚で、調理の際にはハモのように細かく骨切りをするという。とにかく料理上手なお母さんの骨切りは抜群に細かく美しくて、ネットであれこれ検索してみたヒラの調理画像の中でもこれほど美味しそうなものはない。身はしっかりと脂がのってふわふわとやわらかく、とろけるような皮と、細かく切られた小骨のほんのかすかな舌触りはまさに絶品だった。「なぜか気になる存在」だったヒラは、その晩を境に大好きな魚になった。

hira_nitsuke
細かな骨切りが美しい、お母さんのヒラの煮付け。


 
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2017年01月13日

赤くておいしい魚 Delicious red fishes

delicious_red_fishes
(上から)”のどぐろ”ことアカムツ Doederleinia berycoides
”きんき”ことキチジ Sebastolobus macrochir
キンメダイ Beryx splendens
アカアマダイ Branchiostegus japonicus
”アカジン”ことスジアラ Plectropomus leopardus


おいしいともてはやされる魚はたいてい赤い。”のどぐろ”に”きんき”、金目鯛。沖縄ならば”アカジン”、”アカマチ”。

なぜおいしい魚は赤いのか。素人くさい推論を二、三挙げてみることはできる。
ひとつ、魚が持っている赤の色素は主に甲殻類から摂取したものだという。であれば赤い魚ほどたくさんエビカニの類を食っているわけだからさぞうまかろう、という説。これはさすがに単純すぎて真実味があまりない。ふたつ、赤は水深が増すにつれ最初に見えなくなる色であり、それゆえ深い海の魚が保護色として往々身に纏うものである。と同時に、深い海の魚には低水温や高水圧に耐えるため身の脂が多くて旨いものが多い。それゆえおいしい魚は赤いという説。

これらの説はいずれも一片の真理を含んではいるかもしれないけれど、科学的・論理的な正しさの証明はなかなか難しいところだろう。けれどもここでもうひとつ、「赤はおいしく見える色だから」というのには反論をねじ伏せるような力がある。そうなのだ、赤はそもそもおいしい色なのだ。

ヒトに「赤はおいしい色」と教えたのは植物だろう。ピーマンやらゴーヤやら、緑のうちにバリバリ食べてしまうようになったのはヒトの味覚が発達しすぎたからで、元来の野性は「緑=まだ触っちゃダメ」「赤=さあ持っていけ、種を広めよ」と教えていたはず。真っ赤に熟れた柿やトマトには、歯を突き立てて果肉をむさぼりたい!という狂暴な欲求を掻き立てるほどの魅力がある。

だから赤い魚たちにとって、ヒトに付け狙われることはまさに異世界から降ってきた災難そのものだ。同じくしてクロダイは高貴な血筋を持ちながら、赤い肌をもつ兄のマダイのような地位に祭り上げられることは、生まれつきいかんともしがたく「ない」ものと定められている。


 
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