2017年04月14日

クルマエビ Marsupenaeus japonicus

Marsupenaeus_japonicus

〇〇が好き、と公言するのはなかなかによいもので、僕の場合はありがたいことに周りの方々が僕の魚好きをよくご存じくださっている。だから界隈では「あいつに魚見せれば喜ぶだろう」という認識をお持ちくださっていて、僕はその恩恵をいつもたっぷりと享受している。

義弟のシン君の場合はエビだ。眺めたり描いたりしようというのではない。彼は食におけるエビを深く、まっすぐに愛している。妻の実家に帰省するとそこでは誰もが「エビはシン君」だと思っている。お母さんのご馳走の中には必ずエビがラインナップされるし、エビフライであれエビチリであれエビ料理の大皿はシン君の席の前にどすんと据えられるのだ。そして食事も後半になってふと気づくと大皿のエビは残りわずかになって、素知らぬ顔のシン君の銘々皿にはエビの尻尾や殻が積み上がっている。

服飾の世界では縫製が丁寧で上手な人のことを「手が綺麗」と言う。それに倣えば妻のお母さんは料理において手が綺麗な人だ。魚介類は下処理の面倒なものも多いけれど、いつも完璧に心地よい歯ごたえ、舌触りに調理される。シン君がやってくる日の夕方、お母さんは台所でエビの殻を剥く。パチ、パキ、パカリ、と小気味好い音が、少し背を丸めた後ろ姿ごしに小さく聞こえてくる。傾いた陽の光が徐々に濃い影を落とす静かな部屋の中で、その淀みない一定のリズムを耳にしていると、お母さんが料理に対して注いできた長年の心づくしに少しだけ思いが至るような気がする。


 
posted by uonofu at 18:00| Comment(0) | 魚の譜

2017年04月07日

リュウキュウダツ Strongylura incisa

Strongylura_incisa

Strongylura_incisa_front

Strongylura_incisa_back

ダツの恐ろしさはよく知られている。灯りに向かって突進する性質があるため、夜の海でダイビングやボート釣りを楽しむ人のヘッドライト目がけて猛烈な勢いで飛び込んでくるのだ。そのことを初めて知ったのは小学生の頃で、ダツによる死亡事故がワイドショー的な午前のニュースになっているのを母と一緒に見たのだった。それ以来今日に至るまで、僕が夜の海に出かけると知ると母はいつも「ダツに気をつけて」と言う。あのニュースの鮮烈ないたましさはもちろん僕も共有している。

ここ石垣島では、リーフのほんの数十センチの浅瀬にも1メートルに及ぶような大きなダツがいる。日中のシュノーケリングでもダツの姿が見えると少し緊張する。なにせかれらが獲物を見つけたときの突進力は並外れている。リーフの表層をふわふわ泳がせているルアーに、大きなダツが数十センチも水面から飛び上がりながら襲いかかってくる。獲物から姿をくらませるために水面から飛び上がるのか、それとも興奮して突進するあまり飛び出してしまうのかはわからない。いずれにせよド迫力の眺めだ。

ダツのハンティングは、まずこの細長いくちばしで獲物の魚を横向きに捕える。その後少しずつ噛み直しながら獲物の向きを縦にして飲み込む。沖縄本島の泊港で、リリースした小さなテンジクダイにどこからともなく現れたダツが襲いかかり、この手順の一部始終を見ることができた。ただ、最初の突進で獲物を捕える確率はさほど高くもないらしく、ルアーに飛び込んできてもかすりもしないことも多い。またダツのくちばしは硬く、ルアーをくわえてもフックが掛からないこともよくある。

先日、干潮のリーフで大きなダツが掛かった。派手に水面から飛び上がり、僕を中心に糸の長さを半径とする円弧を描きながら泳いで抵抗する。鋭い歯で糸を切ってしまうこともあるから、ルアー失いたくなさに(切れないでくれ)と祈りながら格闘する。ようやく手元にまで寄せてくると、鋭いくちばしに怯んで今度は(こっち来るな)と思う。

くちばしを手網に絡め取るようにしてなんとか動きを封じ、写真を撮った。リュウキュウダツは、ダツの類の中でもとりわけ体形がかっこいい。肩から胸にかけて筋肉が隆起して盛り上がり、ウエストで急に細くなったと思うと背びれ、尻びれの付け根でまた幅広く筋肉が発達する。このとても機能的なあまり少し歪さを含んだような曲線のたまらない色気、何かに似ていると思ったらそれはエヴァンゲリオンの初号機だった。


 
posted by uonofu at 18:00| Comment(0) | 魚の譜

2017年03月31日

スジモヨウフグ Arothron manilensis

Arothron_manilensis

釣りもシュノーケリングも大好きだけれど、当然ながらそのふたつはまったく別のもので、そこから得られる感覚も全然ちがう。釣り、特に石垣島へやって来てから覚えたルアー釣りは、魚とのスリリングなやり取りだ。とりわけイノー(礁池)で腰ほどの水深にまで立ち込んでのルアー釣りは、そのやり取りが垂直方向(下にいる魚を上に釣る)ではなく水平方向(向こうにいる魚をこっちに釣る)になる。水平方向の釣りは魚との距離が近く、立場も対等であるかのような感覚がある。水面のルアーに向けてガバリと魚が突進してくるのには、まるで自分が狙われたかのように鼓動が一気に高鳴ってしまう。

そんな面白い釣りだけれど、連日続けていると「これ、潜ってしまえば一気にいろんな魚見られるのに…」とうずうずしてくる。そのうずうずが高まってくると、晴れた日の日中を釣りとシュノーケリングどちらに使うかに悩み始め、ある日ついにシュノーケリングが勝つ。そうなると母譲りの少し極端な性格で、そこからは連日海に潜るようになる。シュノーケリングで得る感覚は極彩色だ。自分の思い通りに動き、空を飛ぶように好きなところへ行き、宝物のような魚たちに出会う。釣りのような、瞬間的に沸点に達するような高揚ではなく、目の前に食べきれないご馳走が広がっているかのような穏やかで幸福な高揚がある。

今日は遅い午後から荒れ模様になるとの予報だったので、日中天気のよいうちに潜りに行った。ここしばらく釣りを続けていたので、釣りで出会った魚たちの海の中での様子を見られるのが楽しい。子どもにとっての親の職場見学や、親にとっての子どもの授業参観みたいだな、などと思いながら泳いだ。このあと来るであろう荒天が関係するのかどうか、いつになく海底におとなしく腹ばいになって休んでいる魚が多い。真っ白な砂の上にぼんやり佇んでいたのが、このスジモヨウフグだった。3メートルほどの水深を僕がバタバタ鈍臭く潜っても、こちらを横目にふわふわ泳ぐだけでその姿をしっかりと見ることができた。くっきりとした縞模様が白砂に映えて本当に美しい。いつか釣りで出会うことがあるにしても、この背景を得た姿の見事さには及ばないだろうと思った。


 
posted by uonofu at 18:00| Comment(0) | 魚の譜

2017年03月24日

サクラエビ Lucensosergia lucens

Lucensosergia_lucens

ふだん何気なく食べているサクラエビは深海性のエビで、およそ200メートルから500メートルもの深さに棲むという。昨今、写真や映像で深海の風景を頻繁に目にするおかげで、そこがどんな世界なのかということは視覚的にはなんとなくイメージが湧くようになった。けれども僕自身シュノーケリングで海に入るようになって、改めて深海という世界が生半可な想像力ではとても及ばない遠く離れた世界だということを思い知らされた。なにせたった3メートル逆立ちして潜っただけで水はグンと冷たくなり、耳抜きの苦手な僕は頭に不快な圧力を感じるのだ。500メートルの深海に生きる者たちは何を見、何を聞き、何を感じてどのように体を操っているのだろう。

そんなほとんど異世界と言ってもいいような場所からやってくるサクラエビが当たり前のようにスーパーで売られているのを見ると、人間が自らの活動圏として意識を及ぼす範囲の広さ・深さに感心せずにいられない。少なくとも「食」においては、500メートルの深海はごく日常の場所なのだ。また、そこへ手を伸ばす漁の有り様がいい。場所は駿河湾に限られ、天日干しの美しい眺めとも相俟って地域的な特異性を感じさせるし、漁期が定められていることから季節感と結びついてもいる。さらにその漁法には、アジを狙った漁網が深場へ沈んだ折に偶然サクラエビの群れが入ったことで「発見」されたという、据わりのいい始まりのストーリーまである。

人間の、自然に対するひたむきに探究的な意識が、そんなふうに見栄えのいい様式を伴って具象化されているという意味で、サクラエビとその漁は高度に「文化」を感じさせる存在だと思う。


 
posted by uonofu at 18:00| Comment(0) | 魚の譜

2017年03月17日

アマゴ Oncorhynchus masou ishikawae

Oncorhynchus_masou_ishikawae_170317

お盆休みに帰省すると、鳥取の山あいにある妻のお母さんの出処へ里帰りするのが恒例になっている。そしてその道すがら、岡山は鏡野にある郷土料理屋さんでお昼にするというのも毎年のことで、さらにそこで食べるのが山菜料理の定食に「ひらめ」の塩焼きをつけたもの、というところまでお決まりになっている。

「ひらめ」と言っても目が片側に寄ったあの海のヒラメのことではなく、その一帯ではアマゴ(あるいはヤマメ)のことを「ひらめ」と呼んでいる。山道を行くとところどころに「ひらめ釣り」の看板が出ており、最初はどうしてこんな山の中でヒラメ?と思ったのだけれど、道の駅で売られているのを見て得心がいった。

アマゴとヤマメとは亜種同士の関係で、たとえるならば普通の兄弟よりも近く、さりとて一卵性の双子ではない、二卵性の双子ぐらいの距離感がしっくりくる。岡山と鳥取の県境のあたりはちょうどアマゴとヤマメとの自然分布の境界に当たっているようで、さらに放流や釣り場からの脱走で両者はすでに混在しているだろうから、「ひらめ」の正体がそのどちらかというのは厳密には言えなさそうだ。ただ、道の駅で見たひらめにはアマゴの特徴である朱点が美しく散らばっていた。

さてその郷土料理屋さんの定食に添えられたひらめの塩焼きなのだけれど、これが滅法おいしい。僕は子どもの頃から食における川魚にあまり親しまなかったので、アユでもアマゴでもさほど好きではなかったのだけれど、ここでひらめを食べるうちに認識が改まった。お母さんはいつも、ここでお持ち帰りにひらめを焼いてもらって実家へのお土産にする。僕たちが食べている間に囲炉裏端でじっくり焼かれたひらめの入った小さなビニール袋は、セミとキリギリスと風鈴の声が涼やかに吹き通る縁側にとても相応しい。


 
posted by uonofu at 18:00| Comment(0) | 魚の譜