2017年01月27日

ワカサギ Hypomesus nipponensis

Hypomesus_nipponensis

わかさぎ、とはなんと瑞瑞しく美しい名前だろう。

「名は体をあらわす」という思考を僕は好きだけれど、この名付けはまさにこの魚の有り様をたった四つの音で言い表している。引っかかるもののまるでない、すらりとした輪郭。どんな水景に置いても周りに溶け込んでしまいそうな透明感。キラリとしつつも金属的な硬さを感じさせない、丸みを帯びた光沢。表情は無垢な美しさで、たとえば不安と逞しさが同居するマイワシのような魅力とは少し違う。

食においてもそうだ。この魚には、口の中で食べられることに抗うようなところがまるでない。わかさぎの天ぷらは骨もわたもそのままなのに、丁寧に下ごしらえされたキスのように柔らかく歯を受け入れ、舌に触れる。箸につまんで口へ運ぶ時に、これほどまでに身構える必要なく全面的に信頼できる魚も珍しい。

以前入ったお蕎麦屋さんの天ぷらのメニューに「公魚」とあり、何だろうと調べてみるとこのわかさぎのことだった。江戸時代、御公儀に献上されたことからこの字が充てられたらしい。この献上品に舌鼓を打った将軍の気持ちはよく分かるし、こんな晴れがましい充て字をわかさぎのために喜びたい気持ちもあるけれど、この瑞瑞しく透き通った小魚には少しそぐわない気もする。語源は「わかい(若い/幼い)さぎ(細魚)」ということだ。僕がお蕎麦屋さんをするなら、メニューには少し気取って「若さぎ」と書きたい。


 
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2017年01月20日

ヒラ Ilisha elongata

Ilisha_elongata

妻のお母さんは鳥取の山あいの出身で、岡山は倉敷に嫁いでからは瀬戸内の豊かな海の幸をずっと料理してきた人だ。だから帰省するといつも食卓いっぱいのご馳走の中に地物の魚や海老がたくさんで、僕はいつもそれら瀬戸内の魚たちとの出会いと味を目一杯楽しませてもらうのだった。

この年末年始の帰省では初めてヒラの煮付けを食べた。岡山といえばママカリ(サッパ)の国だけれど、ヒラは小魚であるママカリによく似ていながら大きさは50センチを優に超えるという、相貌と大きさの不一致にうんと魅力のある魚だ。姿を見たことがないままなぜか気になっていた魚で、師走に訪れた上海で青魚たちの絵をのびのびと描いたときにも登場させたばかりのことだったから、帰省の日の晩の食卓に並んだそれは僕にとって嬉しいビッグ・サプライズだった。

小骨の多い魚で、調理の際にはハモのように細かく骨切りをするという。とにかく料理上手なお母さんの骨切りは抜群に細かく美しくて、ネットであれこれ検索してみたヒラの調理画像の中でもこれほど美味しそうなものはない。身はしっかりと脂がのってふわふわとやわらかく、とろけるような皮と、細かく切られた小骨のほんのかすかな舌触りはまさに絶品だった。「なぜか気になる存在」だったヒラは、その晩を境に大好きな魚になった。

hira_nitsuke
細かな骨切りが美しい、お母さんのヒラの煮付け。


 
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2017年01月13日

赤くておいしい魚 Delicious red fishes

delicious_red_fishes
(上から)”のどぐろ”ことアカムツ Doederleinia berycoides
”きんき”ことキチジ Sebastolobus macrochir
キンメダイ Beryx splendens
アカアマダイ Branchiostegus japonicus
”アカジン”ことスジアラ Plectropomus leopardus


おいしいともてはやされる魚はたいてい赤い。”のどぐろ”に”きんき”、金目鯛。沖縄ならば”アカジン”、”アカマチ”。

なぜおいしい魚は赤いのか。素人くさい推論を二、三挙げてみることはできる。
ひとつ、魚が持っている赤の色素は主に甲殻類から摂取したものだという。であれば赤い魚ほどたくさんエビカニの類を食っているわけだからさぞうまかろう、という説。これはさすがに単純すぎて真実味があまりない。ふたつ、赤は水深が増すにつれ最初に見えなくなる色であり、それゆえ深い海の魚が保護色として往々身に纏うものである。と同時に、深い海の魚には低水温や高水圧に耐えるため身の脂が多くて旨いものが多い。それゆえおいしい魚は赤いという説。

これらの説はいずれも一片の真理を含んではいるかもしれないけれど、科学的・論理的な正しさの証明はなかなか難しいところだろう。けれどもここでもうひとつ、「赤はおいしく見える色だから」というのには反論をねじ伏せるような力がある。そうなのだ、赤はそもそもおいしい色なのだ。

ヒトに「赤はおいしい色」と教えたのは植物だろう。ピーマンやらゴーヤやら、緑のうちにバリバリ食べてしまうようになったのはヒトの味覚が発達しすぎたからで、元来の野性は「緑=まだ触っちゃダメ」「赤=さあ持っていけ、種を広めよ」と教えていたはず。真っ赤に熟れた柿やトマトには、歯を突き立てて果肉をむさぼりたい!という狂暴な欲求を掻き立てるほどの魅力がある。

だから赤い魚たちにとって、ヒトに付け狙われることはまさに異世界から降ってきた災難そのものだ。同じくしてクロダイは高貴な血筋を持ちながら、赤い肌をもつ兄のマダイのような地位に祭り上げられることは、生まれつきいかんともしがたく「ない」ものと定められている。


 
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2017年01月06日

青魚、六種 Blue-back fishes

blue-back_fish
マイワシ Sardinops melanostictus/カタクチイワシ Engraulis japonicus/サッパ Sardinella zunasi/マサバ Scomber japonicus/コノシロ Konosirus punctatus/サンマ Cololabis saira

「おれ、長嶋さんは青魚だと思いますよ」と言ってくださった方がある。僕が青魚っぽい、という意味ではなくて、僕の絵は青魚に「良さ」がある、という意味だ。

確かに、魚を描きたいと思った原点はマサバの背の美しさと顔の可愛さにある。青魚の魅力は結局その2点に帰着するのではないかと思う。様々な階調の透明な青と金属光沢が織りなす体表のきらめき。弱さ脆さと前向きな楽観が同居する独特の表情。

圧し潰されそうに広大な青の空間の中を、けぶる背景に身をとけこませた群れがゆく。身を潜めるもののない海で、死ぬまで途切れることなく続く過酷な旅だ。けれども群れを動かしているのは、互いを頼り合う不安の気持ちではなく、むしろ逞しく健気な無頼なのではなかろうか。青魚たちの楽観含みの顔貌を見ていると、そんな心のありようがかれらの生きざまを支えているんじゃないかという気がしてくる。そんなことに思いを寄せながら描く魚たちにもし僕の絵の良さがあるのだとしたら、それほど嬉しいことはない。

 
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2016年12月30日

ホシマダラハゼ Ophiocara porocephala

Ophiocara porocephala

石垣島で見られるハゼの仲間は本当に膨大で、釣りをしても海に潜ってもそこらじゅういろんな姿をしたハゼだらけ。それを調べようと『決定版 日本のハゼ』(瀬能宏監修、平凡社、2004年)を買ったのだけれどこれがまたドカンと分厚く、目当てのハゼに辿り着くのにひと苦労する。

そんな多彩な顔ぶれの中でも、「ハゼらしくなさ」と「石垣島らしさ」を併せ持って一際目立つのがタメトモハゼとホシマダラハゼ。特にこのホシマダラハゼは、南米のタライロンに似て古代魚の風格を備え、大きく口の裂けた風貌とドロリと渋い鱗の色はマングローブの川底に潜む肉食魚に似つかわしい。

初めてこの魚を釣って見せてくださったのは、石垣島の釣り名人のOさんだった。欄干から見下ろした流れに佇むホシマダラハゼをしとめた、華麗なルアーさばき。それを目の当たりにしたおかげで、その後ぼくもあちこちのポイントでこの魚の顔を見ることができた。がばっ、とルアーに食らいついてひとしきり暴れるのをいなし、ずしりと重い魚体を引き寄せてくると、濁った水の中から斜めにこちらを睨む大きな頭が現れる。その姿にいかにも貫禄があり、少しサイズ不足ながらこの魚こそをマングローブの「ぬし」と呼びたくなってしまう。


 
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