先の年末、岡山の妻の実家でのんびりと午後を過ごしていると、車で30分ほどのところに住む伯母さんが鯛を持って訪ねてきた。顔つきに凄みが漂い始めているほどの、立派に大きく育った鯛だった。
夕方、筆洗の水を汲もうかと台所を覗くと、お母さんがまな板の上の鯛を前にどこから刃を入れようかと思案している。この大きさだ、背骨はさぞ硬いに違いない。お母さん、僕切りましょうかと声をかけると、いい?ごめんね、と言いながらまな板の前を譲ってくれた。差し出された少し小ぶりの出刃包丁の柄を握ると、使い込まれてしっとりと穏やかな木の質感が、右手の平にひたり、と収まった。
あかがね色の皮に刃を下ろすと、かすかに吸いつくような感触とともに滑らかに吸い込まれて、すぐに背骨がそれを受け止める。そのままぐいと力を入れるけれど、骨は少したわんだだけでびくともしない。大丈夫?ーはい、やっぱり硬いですねと話をしながら、握りこぶしで峰を叩くとドスンと切れた。心地よい切れ味だった。お母さんの手によく馴染んでいるであろう愛用の包丁だけれど、僕の手を拒むようなところは少しも感じなかった。料理に対する心尽しが、形になって手の先に現れているような包丁だと思った。そうして背骨つきの半身をいくつかに切り分けて、初めて料理を手伝った子どものように晴れがましい気持ちでお母さんに包丁を返した。
鯛は煮付けになった。例によって食卓はご馳走いっぱいのオールスターで、普段は四番を張って当然の鯛ですら、隅で多少控えめにしている。これおれが切ったやつだ!とまた子どものように誇らしく思いながら、カマの部分を銘々皿に取り上げた。煮汁に浮いた脂をうっすらと纏った身はぷっくりと膨れつつふわりとして、これぞ鯛という味が確かに舌の上に広がった。
